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昔の話、大井川 奥西河内沢 遡行

大井川の東俣遡行でヘコたれたのに「、喉元過ぎれば熱さ忘るる」
翌年の夏、昭和41年、24歳のとき、再び大井川遡行に出かけたのだった。
ただし、この時のノート、メモは残っておらず、写真だけはあるはずなので探索中。
記憶に頼って概略だけ述べます。

奥西河内沢は、赤石岳の北、荒川小屋に突き上げる沢である。
なんでそこを選んだのか?当時のガイドブックにも記載はなかったはず。
たぶん、国土地理院の地図を眺めながら、ルートを決めたのだろう。
そこへ単独で突っ込んだのだから無謀といえばその通り。
幸いなことに今回も好天に恵まれ、遭難にならなかっただけの探検だった。
南ア奥西河内沢
今回は大井川の河口、静岡県の金谷から大井川鉄道で延々と北上。
畑薙ダム、椹島を抜けて入った。
夜行列車で金谷へ行き、駅で仮眠。大井川鉄道の一番電車に乗った。
ガラガラの車内、安心してシートに大の字になって寝込んでしまった。
ところが、、、周りがなにやら騒がしい。ふと目を開けたら通学の高校生で満員!!
バッド・マナー! 顔から火が出るように恥ずかしかった。

終点で降りてバスに乗り換え、その終点がどこだったのかも忘れた。
記憶に残っているのは、前年の時と全く同様、林業の道、飯場、長い吊り橋を
延々と渓谷沿いに歩いたこと。今回はお手製ハンモックは置いてきた。
立派な道は奥西河内沢の出合いまで続いていて、なんの問題も無かった。
例によって暑さの中、重荷にあえいだのも同じだった。
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奥西河内沢に入った1日目、大きな滝に行き詰まった!
といってもせいぜい10m、「魚留めの滝」だったのかなあ?
滝壺で日没になり、シブキを避けてそこでビバークした。
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あくる日、その滝を高巻きしたことは確かだ。
だが、大きなキスリングを背負ったまま、それほどの危険もなく、
落ち口の平坦な河原に達した記憶がある。

問題はその先、延々と屈曲した沢歩きを堪能し、ようやく本流の源頭、
稜線のコルにある小屋が遠望されたときだ。
なんか、小屋から沢の本流へ白いモノが線となって流れ落ちているではないか?
雪渓などあるはずもなし。さんざん考えた末、もしや、あれは、、、
トイレットペーパーでは!
昨年、野呂川の飯場下流でビバークして、下痢にやられた記憶がよみがえった。
幸い、まだ下痢の兆候はなし。だがこのまま小屋下へ詰め上がる気が失せた。

困り果てた私は、北側に並行する稜線ピークへ詰め上がることに変更。
だが、そこは相当な急斜面の涸れ沢、巨大なガレ場が稜線まで突き上げていた。
しかも中間上はオーバーハング帯に妨げられている。

とにかく、水を持たなければ。但し、本流はゴメンだ。
枝沢のチョロ水を時間をかけて手持ちの水筒、容器を全て満タンにする。

背中から烈日を受けながら、浮き石だらけのガレ場を一歩、一歩緊張して登る。
時々、ガラガラと落石が。見上げるとデカイ猿が上をトラバースしてる。
落石がこっちに向かわないよう、息をひそめて猿が抜けるのを待った。

最大の難所はオーバーハング帯だが、キスリング背負ってどうやって突破するか?
傾斜がきつくなってる。絶対に滑落しないぞ!という覚悟でカニの横ばいよろしく、
東へトラバース。ようやくオーバーハングの切れ目に到達。
必死の思いで浮き石を抑えながらズリ登った。

緊張の1時間、、突然、傾斜が緩んで周囲は一面のお花畑!とうとう稜線へ到達した。
目の前のピークに登りついたら、そこには、、、、立派な「悪沢岳」の標識が立っていたのだ。
なんというか、一番、悪い涸れ沢をたどってしまったらしい。
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そのまま稜線伝いに荒川小屋、兎岳でビバークしたかも?そして赤石岳へ。
山頂で、昨年も南アで出会ったロイドメガネの「中央通信」の方にまたまた巡り会った!
日にちもルートも打ち合わせたわけでないのに、こんな広大な山域で2度も出会うとは。
こんな偶然って、あるのだろうか?

聖岳、聖平と抜けた。
地理調査で「聖岳にカール地形があるはず」というテーマを研究中の早大生と意気投合。
大井川に降りて、バスに乗り遅れ、旅籠でビールで乾杯した。

この年のあとの夏も、小渋川のトロッコ軌道を、延々20キロ歩いて詰め、
伐採跡に妨げられて稜線へ逃げ、ビバークしたり。
着工したばかりの野呂川スーパー林道をたどろうと、これも伐採跡で撤退したり。
若い青春は暑い南アで過ごす夏休みであった。

これだけ南アに入れ込んでいたのに、いつも好天だった。雷雨に遭ったこともない。
それで遭難しなかっただけのことだけど。
ピークハンテイングには全く興味が無かった。
登山というより探検っぽいことが好きだった。今でもそうだけど。

なんで当時、私がそんなことが出来たか?というと、、、、、
就職先の日産自動車は、日本で最初の「8月お盆、7日間の夏休み」を始めていたのだ!
ただし、それ以外は週6日制、朝は8時始まり、有給休暇は病気以外は禁止だった。

山で出会う人の多くは学校の先生だった。
当時、先生は生徒と同じ、1ケ月丸々夏休みだったのだ。
日教組が強かった時代だもんね。

オシマイ















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昔の話、大井川 東俣遡行 その2

「昔の話、大井川東俣その1」からの続編です。
南ア奥白根沢

6.広河原へ

延々と河原歩き?いや道は全く無いかというとそうでもない。
右手の一段高いところに断続して残っている。
だが至るところで崩壊し、淵に洗われてるところもある。
はじめはそれらを拾って、いちいち登り降りしていたが、結局、河原伝いが一番早い。

細い体格、軽装の40代らしき人夫姿の男性が追い付いてきた。
「どこまで行く?」と聞かれた。「池の沢出合いいまで」
「知らないなあ。広河原までなら行くつもりだから一緒に来い」
しばらく一緒に歩きながら話すと、広河原イコール池の沢出合いらしい。
退屈そうで「東京にはしばらく行ってたことがある」といろいろ話が弾む。
だが私は重荷なので付いていけない。結局、先行してもらった。
広河原にも飯場があるのだろうか。

大きな淵にぶつかる。戻って巨岩を伝うが、そのうちザブザブ渡るところが増えた。
水は冷たい。渡渉点を示すケルンも無くなってきた。
革の重登山靴のままだから、グチャクチャ。これでは靴もダメになるだろう。
すぐに烈日で乾くのだが、それまでにズボンに砂が付着してしまう。
疲れが出てきて休みが増えてきた。そのたびに冷たい水を飲む。
涼しくなるが、また大汗をかくことになる。

「本流の水は飲むな」という教訓は、あとで後悔するのだが、
この時点では気にしなかった。水流も減ってきた。
あの広かった大井川を源頭まで遡ることを思うとやっぱり嬉しくなる。
天気は全く心配ない。

突然、広い河原に。左右の見通しが良くなって井戸の底から出たような感じだ。
川筋はいくつにも分かれ、中洲に雑木が生い茂っている。ここが広河原なのか?
昼飯はさっきの淵渡りで済ませてしまったので休憩せずにどんどん進む。

再び両岸が迫って水量が増し、渡渉できなくなった。
巨木が橋状になってて、土の足跡が付いてる。これを重荷で渡るのか?
水面までは3mはある。根っこ伝いに這い上がって立ち上がるがふらつく。
落ちたらおおごとだ。膝を十分まげてヨタヨタ慎重に進む。
渡り切った倒木から降りれない。エイとばかり一気にズリ落ちたら頭から砂地に!
キスリングに抑えられて、起き上がるのに苦労した。流れる水で砂を落とす。

再び中洲のある河原に変わり、ジャブジャブと何本もの小川を渡る。
地下足袋ならどってことないけど、あれは足裏がいたいだろうなあ。
まるで公園のような小道を行けば、黄色いツエルトが草地に吊られていた。
のぞくと荷物だけで無人、塩見岳に登りに行ったのだろうか?
砂地に残った足跡が、なんか懐かしい。
右からの池の沢、左からの雪投沢も、広い河原の雑木にさえぎられて確認できない。
もっと上かも知れないとキョロキョロしながら足を早める。

川幅は再び狭くなり、水量が増えた。出合いはもっと上かも知れない。
次々と曲がる沢をひっきりなしの渡渉も気にならず、やや焦って進む。
左へ大きく曲がるところでは垂壁に妨げられて進めない。深くて渡渉もできなくなった。
ヤブ伝いに高巻き、コケだらけの巨岩の間をすり抜け、苦労して再び川床へ降りる。

日もそろそろ傾いてきて、両岸が迫った沢には日が当たらなくなってきた。
当初予定の池の沢出合いは既に過ぎてしまったたのは明らかだ。
ならば東俣本流(奥白根沢)を行けるところまで詰めてやれ、と計画変更した。
しかしそこがどうなってるのか、ガイドブックにあったのか、記憶がない。
悪場があるのだろうか、重荷で突破できるのだろうか。
水量は減る一方だし、天気も良いので心配なかろう。
行き詰まったら、夕立で増水したら、その前に広河原までは戻ることもできる。
地図で確認すると、源頭は間ノ岳、まだまだ距離は長い。

もっと広いところがあったら泊まろう。上には赤味かかった雲が見えるが、
夕立は来ない。日陰になって沢風が冷たくなってきた。周囲は静寂に包まれた

7.魚止めの滝?

進むうちに、沢の向こう側から大きな水音が聞こえてきた。
大急ぎでたどり着くと、倒木が折り重なった上から激しい水流が落ちている!
高さはそれほどでもないが、こんなに水量が減っているのに幅が広い。
左右はヤブの付いた岩で、登るのは面倒そうだ。

しぶきを浴びながら中央の倒木が足掛かりになって、上の倒木へ届きそうだ。
コケでびっしり覆われた倒木に足をかけるとツルリと皮が剥け、
濡れた黒いツルツルが現れる。ビブラム・コピーのゴム底は濡れるとひどく滑る。
慎重に体重をかけて上の倒木の枝を握る。そのままじわじわと横ばいによじ登る。
目の前には激しいしぶきがなだれ落ちている。体はビショ濡れ、
落ち口を横切ってようやく左壁の灌木に手が届いた。
それを頼りに体を引き上げようとするが重荷でどうにもならない。
その上、左右に振られて危うく落ちそうになった。
息を整えてからもう1度、ヤブにしがみついてしゃにむに這い登つた。
四つん這いになって岩の上に上がれば、この小滝はようやく足下になった。

こんな滝が連続していてはたまらない。それに露営もままならない。
しかし歩き始めるとその心配はなく、沢は再び開けて綺麗な砂地が現れた
先ほどの滝が、土砂を堰止めたのだ。広い中洲と雑木、露営には絶妙な場所だ。
雨もなさそうだし、増水もあるまい。
ここでビバークと決めて、一日苦しめられたキスリングを放り出した。

暗さを増した周囲はますます静かに、人の気配は全くなし。
あるのは自分の足跡だけ。無人だと思うだけで愉快になる。
豊富な流木を集め、石のかまどで飯盒炊さん。ハンモックを2本の立ち木にぶら下げた。
火に放り込んだ生ナスの皮を剥いて、醤油をかけてフウフウかじる。
味噌汁は熱湯の中に味噌とワカメを入れるだけ。量だけの粗食だ。

濡れものを焚火で乾かし、着替えをし、明日の米を研ぐ。
夕映えの空に見え始めた星を眺めていると、露営の楽しさは最高になった。
疲れた体をハンモックのシュラフに入れれば、やっと横になれた幸福感で一杯だ。
21時まで目が冴え、ツエルトをまくれば銀河が横たわって流れている。
東京の街中では銀河が見えたことなどなかった。

手作りハンモックの結び目が背中に痛いが、下を水が流れていても濡れない。
すぐに眠りについた。ただし、、、明け方、背中の下を吹き抜ける風で寒くなった!

8.間ノ岳へ

昼の弁当作り、食器洗いはめんどくさい仕事だ。
特に飯盒は煤で真っ黒、落とさないと荷物に一緒に入れられない。
ぐずぐずしていたら日が昇ってきてしまった。
快適な露営地を背に歩き出すと、再び沢が狭くなった。
周囲のヤブは朝露に輝き、実に爽やかで楽しくて仕方がない。

源流帯の様相を帯びてきて水の流れはドンドン細くなる。
とうとう小川になってヤブと木々の間を抜ける。荷物を背負っては越えにくい段差も出てきた。
沢が2手に分かれる。右は細い枝沢「東門沢」か?リッジ状の岩に何本も水流が落ちている。

階段状のスタンスが現れ、横切るとヤブの中にコケでびっしょりりおおわれた
木片が散在している。周囲のヤブの生え具合から察するとずいぶん古い。
山師の小屋があったのではないか?墓を見るようで、触っただけでパラパラ崩れた。

小さな棚を越すと前方の両岸の間から突然、高いピークが見えた!
赤味かかった岩と緑の這松、白いガラ場の急斜面が行く手を遮っている。
驚いて早速、荷物を置いて地図を広げる。
奥白根沢を遡行しているのが正しければ、正面のピークは間ノ岳だな。
北岳に次ぐ3000m級の堂々たるものだ。
相当な急斜面で重荷で登るのは辛そうだ、安全なルートはあるだろうか?

不安が増して足は急ぐ。石を積み重ねた間を、さしもの大井川もチョロチョロになった。
ところどころの水溜まりにはオタマジャクシが沢山いる。
茶色の小さいヤツ、こんな高所で冬を越せるカエルがいるとは。
水温はもう冷たくない。日はまだ天まできていない。時間に余裕があるのが心強い。

ピークは頭上にのしかかるようになり、その左にも小さな峰が頭をもたげている。
三峰岳だろうか。緑の這松が実に美しい。
さらにその左には一段低いが木々が密生した丸い山が連なってる。
まるで三方を囲まれたスリバチの底にいるようで緊張する。
間ノ岳は急なガレ場が日陰になっていて、壁のようにそそり立つ。
浮き石ばかりで慎重に足を踏む。登るにつれて傾斜は強くなる。
いっぽう、視界はグングン広がる。時にはルンゼ状の溝になり、赤茶けた岩はひどく脆い。

沢の中では全く水筒は使ってなかったが、稜線に上がれば水は無い。
焚火も出来ない。2つの大きな水筒にめいっぱい水を汲んだ。
岩に腰かけて夏ミカンをかじる。
登ってきた方向は青い樹海に覆われて沢が屈曲して遠くへ落ちている。
まだ稜線は高いところにあって、大きな影を落としている。
スリバチの中ほどにいる勘定になる。

記念として、変わった形の小石をザックに入れる。
今回、カメラは壊れて持ってきてない。景色は頭の中に覚えるしかない。
この谷には人が入らないからゴミが全く無い。

ツバメが頭上を横切る。晴れ渡った空からジェットらしい音が?
かすかに飛行機雲が残っている。それらしい積乱雲はないので雷鳴ではなさそう。
文明の産物と原始のままの谷、それしかない幸福な時を過ごす。
倒れ込むと眠くなってきた。いや、まだ詰めは終わりではない。
生ぬるいチョロチョロ水を腹一杯飲んで立ち上がる。

岩は段々小さくなり水は途絶えた。岩の下からまだ水音は聞こえる。
傾斜がきつくなったのでルートを左のザラ場にとる。
30m上に這松帯の下端が見える。ザレは非常に足場が悪く、
草付きと接する部分の凹凸を利用して登る。

それも危なくなって、ザレに両手をついて熊みたいに這い登る。
重荷がこたえてメリメリ腰が痛む。足元がザラザラ崩れる。止まることもできない。
わずかに頭を出す岩を拾ってステップを確保、右も左も急な草付きで逃げ場はない。
さっき休んだところはわずか下、ちっとも登ってないのか。

やっと這松に手が届いた。その中に飛び込む。プーンとジンの匂いの松脂に包まれた。
足がかりは不安定だが、もう滑落の心配はない。這松の中を文字通り這って一気に突破。
遠目にはビロードのように美しいが、この中を泳ぐのは楽ではない。

突然、傾斜が緩くなって、大きな岩が現れた。そこを回り込んだら、、、、、
もう登るところは無くなった。そこが稜線だった!とうとう重荷からも解放されたのだ。
汗が引くと風はさすがに寒いくらいで、強い日差しさえも暖かい。

登ってきた反対側の北面は一面の岩石の連なりで、広大なガレ場が深い谷底へ
なだれ落ちている。農鳥岳に続く尾根を降りていく人の姿が見え隠れする。
尾根の最低部にある農鳥小屋の赤い屋根が見える。
先ほどの朽ちた木片のあった枝沢が、農鳥小屋の水場に登り着くのかな?

三峰岳は、稜線を西にわずかに下がった位置にピョコンと尖った小さなピークだ。
東は大きく岩が積み重なって行く手を阻み、その間をジグザグに踏み跡が続いている。
間ノ岳の頂上そのものは、それらの岩に隠れて見えない。

実に楽しい気分だ。過ぎ去った谷間は幾度も屈曲して遠くに続いている。
足元の1滴の水が、あの先の太平洋まで大井川を流れていくのだ。
沢登りというより、川歩きのような南アの遡行は終わったのだ。

日は中点を越えた。岩陰に重荷を放り出して、遅くなった昼食にする。
と言っても、固くなったパンをかじり、キュウリをばりばり丸かじりするだけ。
あまり人に見られたくない食事だ。

北岳への稜線は緩やかに上下を繰り返して続いているが、ピークは隠れて見えない。
斜面は岩礫と這松の緑を組み合わせた、いかにも夏山らしい彩りに照り映えている。
明日は間ノ岳を経て北岳へ登るろうか。多分、人が多くてガッカリするだろうけど。

塩見岳も好天でよく見える。形の整った丸い形で頂上まで這松に覆われている。
うねって登る登山道すら這松に覆われて消えている。
その先には赤石岳、聖岳と、頂稜以外は深い緑で覆われた緑豊か山々を
眺めているだけで飽きない。

北側書面には、野呂川の谷を挟んで仙丈岳がどつしり構えている。
三峰岳の先から分かれた仙状岳までの長い馬鹿尾根、ところどころに白い肌を見せた
倒木が見える。その尾根の西には広い伊那谷が熱気に霞んでいる。
その西には中央アルプスの山々がボンヤリと頭を出し、その北には北アルプスらしい
頂きがわずかに判別できる。

塩見からの縦走者が2人、三峰岳の裏から現れた。挨拶を交わし、間ノ岳へガリガリ
音を立てながら登って行った。
今日はこの稜線でビバークしよう。解放されて浮き浮きした気分だ。
時々、北岳の方向から人の声が聞こえ、ガレ場がカラカラ崩れる音がする。

激しい息遣いに振り向くと、また2人連れが三峰岳からやってきたのだ。
小柄な男性は関西弁で「馬鹿尾根から来ましたが、倒木で閉口しました」と快活に笑う。
連れの女性は非常に苦しそうで顔面蒼白、物言う元気もない。
下に農鳥小屋が見えることを示すと、「安心しました。今夜はあそこに泊まって、
明日、私だけ北岳でも往復しましょう」と歩き出して行った。
女性がやっと歩く後ろ姿を見てると気の毒になる。

登りっ放しで水場も無い、日差しが強い、南アの厳しい尾根登りは私には自信がない。
沢を時間をかけて登るほうが楽だ。

日は伊那谷の向こうに落ちようとして、残照が峰々の頂を赤く染めてきた。
農鳥小屋から紫煙が昇る。もう、2人は着いただろうか。

夜の支度に荷物を広げていたら、間ノ岳から真っ赤に日焼けした若い人が降りてきた。
「甲斐駒から来たけど、初日に台風に遭ってシュラフまでびしょ濡れ、ひどい目に遭いました」
もう、入山して6日になるという。南アの全山を縦走しようという勇ましい話だ。
当然、私と同じビバーク族だ。お手製ハンモックの話で盛り上がった。
「背中が痛い」というので見てやるとザックの底で腰の上が赤く腫れている。
そういわれればと、自分も調べたら同じになってた。

こんな思いまでしても、やっぱり楽しいのだ。「日程が遅れて食料が足りない」という。
私は食料だけは十分持ってきたのでアルファ米を2袋渡し、水も無いというので飲ませた。
今夜は塩見の手前、熊の平でビバークするというが、あそこは結構降りないと
水場は無いと思う。もうほの暗いので、せかせて送り出した.。
彼の姿は、最後に手を振ってから三峰岳の向こうに消えた。

谷を雲海が埋め始めた。メタ缶を2つ、石の間に置いてアルファ米とインスタントラーメン、
それとワカメだけの味噌汁を作って食べる。臭いメタを早々に消して、這松の上に
ツエルトを敷いて潜り込む。ポールは無いのでこれでガマンする。

農鳥小屋のほうはもう暗いが、稜線はいつまでもほの明るい。
さすがに寒くなってきた。野呂川側から風が吹き上がり始めてツエルトをばたつかせる。
香り高い這松、ほてりの残った岩肌、清涼な大気、それらに囲まれた幸せを味わいながら、
暗くなる中天をずっと仰いでいた。この充足された瞬間がたまらない。
重荷がこたえた腰はメリメリするが、いつの間にか眠りに落ちた。
明け方の強烈な寒さで起こされるまでは熟睡できた。



明くる日は間ノ岳頂上を経て北岳へピストン。
当時、鎖も梯子もない八本歯を大きなキスリングかついまま、何とか突破し、
長い長い尾根をたどって野呂川の右岸に降りて、ビバーク。
革登山靴は完全に型崩れしてしまった。

朝、起きて気が付いたら、対岸の崖上に飯場が!昨晩は本流の水で炊事してしまったのだ!
それからは下痢騒ぎで参ったが、なんとか野呂川を渡渉して林道までよじ登り
広河原から空車で戻ってくるマイクロバスを手をあげて止め、
夜叉人峠経由で甲府へ出て、長い山旅を終えた。

数日、風呂に入ってないのだから、帰りの列車の中では、ひどい臭いだったと思う。

オシマイ











































昔の話、大井川東俣遡行その1

終活、断捨離をやっていたら、、、古いノートを発見。
それには私が単独行で沢歩きにのめり込んだ原点が書かれていた!
大井川源流間ノ岳

時は55年も前の昔、昭和39年夏、23歳の時に静岡県の大井川東俣を遡行、
奥白根沢を詰め、南アの間ノ岳へ到達したメモだった。
文章は拙く、冗長なので、ここで全文を披露しても誰も読むまい。
筆を加えては当時の雰囲気が壊れるが、、、
まあ人生、先も短くなったので自分史として披露してしまおうかな。

なんで夏なのに涼しい北アに行かなかったの?カネが無かったから。
なんで小屋泊まりしなかったの? カネが無かったから。
あと、当時の小屋のトイレは半端なくひどかったから。沢へ完全垂れ流し!
泊まる気がしなかった。

当時の装備は劣悪だった。でかいキスリングはパンパンに重く、
初日は特に重く、ベンチに乗せないと担ぎ上げられなかった。全行程で肩が痛く苦しかった。

お手製ハンモックでツエルト幕営を試したが、、、
ハンモックは重くて出来が悪く、結び目と背中が丸くなるので辛かった。
ツエルトでは雨はしのげなかったと思う。好天に恵まれただけ。
今思えば、遭難しなかったのは、単に運が良かっただけだ。

生米持参の焚火での飯盒炊さんが主体。戦前の軍隊の行軍並みか?
バーナーなし。弱火のメタ缶しか持たず。
重い生野菜、果物ばかり。タンパク質はろくになし、アルフア米は高くてまずかった。
一張羅の革の重登山靴で渡渉しまくったので完全に型崩れ、再使用不可となった。
布のキャラバンシューズで十分だったのに、、、、

全て本流の水を利用したが、大井川では問題なし。
だが最終日、野呂川に達してから下痢!朝起きたら対岸に飯場のトイレが!!


1.転付峠越え(今の地図では伝付峠に変わっている?)

三輪トラックの荷台の上でひどく揺れる山支度の数人。
急な林道はそこで急に細くなってもう進めない。降りて歩くことになった。
久しぶりの山行、しかもツエルトだけの初ビバーク前提。
その不安でパッキングのし直しにグズグズしてるうちに、
他の登山者は先行、最後に取り残されてしまった。

カンカン照りの天気、せいぜい夕立くらいだろう。まず安心できそうだった。
転付峠への登り道は、昔ながらの交通路だけに幅も広く、荒れていない。
慣れない重荷と日差しの強さに汗は溢れ、苦しくてたまらない。
ろくなトレーニングもせずに昨日まで都会暮らしをしていた者が、
こんな重労働に耐えられるはずがない。しかも真夏の南アの南部。
それが分かっていても、またまたやってきてしまった。後悔。

沢の左岸を水流と並んで歩く。時々ゴルジュもあるし棚も見える。
変化が楽しめる立派な沢である。沢が大きく屈曲すると日陰になった。
涼しい風が吹き抜ける。それも束の間、再び日当たりに。

先行した中年男性が見えてきた。一緒に岩に荷をもたせて休憩。
塩見岳に登るそうだ。「トシ甲斐もなくまた山に来てしまいました。
こう苦しくてはたまらない。若い人がうらやましい」と。誰も同じなのだ。

吊り橋を渡って右岸に、曲がり角ごとに休まないと進めない。
ただただ峠へ登りつくことだけを考えていた。
東海パルプの保利沢の小屋に到着、中を道が通り抜けている。人は居ない。
ここからは水流を離れて草言切れの中を登る苦行だ。
それこそ10歩ごとに立ち止まる。
ホースで冷たい水が出ていて木箱に溢れている。
ガブ飲みすると少しは涼しくなった。

階段状に続く道を登れば、路肩の丸太を組んだ台がある。
この峠を日用品を担いで登るボッカが背中の荷を載せて
休めるように作ったのだろう。峠はもうすぐ上である。

急に木がまばらになって峠の上に立った。そこからすぐに下りになってる。
もう登る必要がないと分かって、急に腹が空いた。
祠があって。ベンチ代わりの倒木が朽ちかかっている。
ボロボロの握り飯を頬張りながら木の間越しに、暑さで水蒸気が垂れこみ、
ボンヤリと正面の悪沢岳が黒々とそびえているのしか見えない。
2000mを超える峠から見てもまだまだ高い。貯水池の水面が下に見える。
これからもう一度、大井川の川床に降りてから登りなおすのだ。憂鬱。

2.二軒小屋

ジグザグの下りを走るように下ると、また暑さが増してきた。
だが意外と早く大井川の川床へたどり着いた。
二軒小屋は古いが大きな、しっかりした旅籠、ハタゴだった。
一段下の広場には2張りのテントがあった。
玄関口の娘が「いらっしゃい」と声をかけてきたが、泊まる客でないと知ると
不愛想になった。
橋を渡り、貯水池となっている大井川の右岸の道を遡る。
ここも東海パルプの事業道なので立派なものだ。
ところどころに飯場が点在していて集落になってる。

道端に黄色いツエルトが張ってあった。
ここで泊まろうかとも思ったが草が多くて虫が飛び交ってるし、人家も近い。
先を急ぐことにする。大井川は大きく二手に分かれた。
右が遡行予定の東俣、左には西俣が曲折して奥に隠れている。
長い吊り橋をユラユラ渡り切ると東俣への道に入る。
これから先、ずっとこのような吊り橋の連続になるのだが。

川床が広い河原になって右下流に急な枝沢が落ちている。
そこに太い丸太を針金で組み合わせた、材木降ろしのケーブルの終点があった。
向こう岸のはるか高い峰から、延々とケーブルが2本大きく弛んで張られている。

ゴロゴロ積みあがった丸太の上でケーブルを操作してる男が笑いかけてきたが聞こえない。
10mくらいの丸太が10本ほど束ねたものが早い速度で下ってきた。
それを終点で止めて長いカギ棒で留め金を叩く。
轟音とともに丸太は崩れ落ち、飛び跳ねて川床へ落ちていく。

反動で跳ね飛ぶ金具の揺れが落ち着くと、金具は車輪にぶら下がって峰に上がっていく。
終点の台から下の川床までは積み重なった丸太が不安定に連なっている。
驚いたことにその丸太の上にカギ棒を持った男が仁王立ちになって、崩し落としている!
見ていても気が気ではない。

流れに乗った丸太は回転して落として流れ下っていく。
日が傾いた中、ただぼんやりとその危険な作業の繰り返しを30分以上も眺めていた。
男に手を上げてから、東俣への道を覗くともう河原はない。
対岸にかかる吊り橋を渡る。手が針金の錆で赤くなった。
柳が茂る河原に降り、ここを第一日目のビバーク地とした。

石を集めて組んだかまどにブラ下げた飯盒が噴き出す頃、1日苦しめtられた太陽は
ようやく対岸に隠れ、残照が反対の山々を照らしている。
砂地には沢山の蟻地獄の巣のスリバチがあった。地面は虫だらけだろう。

日が落ちたら急に寒くなった。今回は初の試みとしてハンモックで寝るのだ。
市販品を探したが見つからず、お手製だ。だから網の目はやたらデカイ。
万一、落ちても安全なように2本の柳の幹から地面から30cmくらいになるように吊り下げた。
背中が丸くなってしまうのと、網目のタンコブが当たって辛いが、
ごつごつの河原へ直接寝るよりはましだ。
満点の星空、川音が低く響いてビバーク第一夜が無事に更けていく。
疲れとうまくビバークできた安心から熟睡できた。


3.東俣遡行
冷え冷えする空気に5時には目が覚めた。
昼の握り飯を作るのが面倒だったがどうにか朝日が当たる時分には
歩き始めることができた。
昨日の吊り橋を戻って東俣の流れに沿って右岸を行く。
立派な道を何回も吊り橋で左右に渡り直す。
吊り橋は太い丸太と番線で作られている。どれも作り方は全く同じ、
30cm程度の幅の踏み板が横に渡され、風化して半分に割れていたり、
ところどころ抜け落ちている。
登るに従ってだんだん老朽化の激しい吊り橋が現れる。
重荷なのでフラフラ激しく揺れるが、コツをつかんでそれにも慣れてきた。
下には清冽な流れが岩を乗り越え、とうとうと流れている。
身も心も洗われる心地だ。
黒部には行ったことがないが規模の違いはあれ、きっとこのようなのだろう。
(黒部行は54年後に実現した!)
棚、滝らしいものは全く無い。急な瀬と淵が連綿と続く。
木立が深いので昨日ほど熱くはない。

飯場小屋が現れたところで、山仕事の5人連れに抜かれた。
連れてた赤犬が臭いをかいでからまた戻っていった。
山の仕事師の地下足袋の足首は非常に細い。マラソン選手と同じ体形だ。
毎日の過酷な労働で鍛えられてるのだ。日焼けは勿論だが鼻が特別赤い。
飯場裏の大量の酒ビンから察するに、毎晩のように大酒呑みするのだろう。
風体は山賊風だが、例外なく人なつうこく話しかけてくる。
今まで出会った仕事師には片目が不自由な人、手足が不自由な人もいた。
危険な仕事、医療が不十分な山奥での厳しい生活なのだろう。

昨日の歩きですっかり体が慣れて楽に歩けるが、肩に食い込む
キスリングには閉口する。
なるべくスローペースを心がけて、緑したたる立派な道を行く。

4、吊り橋工事
急に人が沢山見えた。吊り橋の架け替え工事をしていた。
行き止まった道の先から、木の香も新しい丸太が組まれ、
対岸との間に2,3本の番線が張られている。
河原に立つ10人ほどが番線の輪を引き回している。

頭らしき太った男が手を上げて、私に大声で河原へ降りろという。
その声で皆な、一斉に振り向いた。
指示に従って掘り返された崖を河原へズリ降りた。
ゴウゴウたる水音で声がよく聞こえない。
頭は鋭い目付きで、ボンヤリ立ってる私に早く渡渉せよと言ってるらしい。
うまく巨岩がならんでいたので、重荷にふらつく足どりで向こう岸へたどり着く。
蜘蛛が巣を作るように順次、吊り橋が姿を現すのに見とれていた。

5.鉄砲堰

再び背を向けて歩きだして沢の屈曲を曲がれば、人声も姿も消え、
元の静かな山道に戻った。
右から大きな崩落があり、ガレ場からカラカラ落石が落ちる。
浮き石を慎重に踏んでトラバースする。
両岸はだんだん狭くなり、右岸に台地があり、そこへ登れば再び道が続く。
日差しが上に回り暑さが増してきたが苔蒸す立木、黒土の道を冷たい沢風が吹き抜ける。

真新しい小屋に突き当たった。道はまっすぐ戸口に入って、向こうへ突き抜けている。
左右に畳があって、土間というか道の真ん中に囲炉裏が掘られている。
真っ暗な奥に2,3人が休んでいた。戻って小屋の外の草地を回り込んだ。
フトンが干してあった。彼らはここに泊まり込んで仕事をしているのだろう。

同じような作りの道をふさぐ飯場小屋をいくつか過ぎる。
沢の角を曲がると突然、大きく開けて巨大な「テッツポー堰」に突き当たった。
広くなった川幅一杯に丸太で組上げた巨大なダムだ。
両岸から土手を伸ばし丸太で補強し、中央に幅10mほどの水路が残されている。
ここに水をせき止め、伐採した丸太を貯め込み、増水時を見計らって
一気に堰を切り、丸太を下流に流すという。
今は中央の水路は開いているが、運悪くテッポーに遭遇したら、、、
思うだけでも鳥肌が立つ。

ケーブルの終点が堰の上にあって、若い男が丸太落としの仕事をしている。
もう道はなくなっていた。左目が白く濁っているその男が、片手のトビ口で
河原へ降りるしかないと示す。テッポー堰の横手に登り、そこからずり落ちて河原に立った。
堰の裏側にはまだ丸太はたいして溜まってはいない。

ゴーゴーたる水音を背に、日が降り注ぐ河原歩きが始まった。


長くなったので 「遡行その2」に分けて続けます。

市界尾根、ロマンの森、白壁渓谷源流

ナメ4

本題に入る前に必読、緊急報告!!

白壁渓谷源流の西に並行する,、秘境として人気の、高宕山ー三郡山間の「市界尾根」
(郡界尾根)およびその南端の横尾林道に、先日まであった道標が、数か所で撤去されたのだ!

昔から立ってて、サビ始めたとはいえ立派な鉄製の「SHC」の道標も抜かれてる。
谷のヤブに投げ捨てられてるのも発見。重いから撤去も大変だった?
SHCの分岐道標
これは2017年1月4日には存在していた。だが2月19日は撤去されていた。

似たような地形の分岐点を、記憶頼りに捜すしかない。非常に危険だ。
分岐点を見失い,日没までウロウロ、危うく遭難を免れた。

だれがやったのか?登山者のイタズラではない。
組織的な、だれかさんの「清掃活動」だ!
営林署、イヤ森林事務所か?行政か?森林組合か?地権者か?
行政は登山者に敵意を燃やしている?

一方、迷うはずもない直線路に、防腐剤が塗られた新しい手作り道標がほうぼうに建てられてる。
しかも立ち木にステンレスの針金で結ばれてる。これではいずれ木が枯れる!

「ヒメコマツ」保護のために、枝尾根に立派な看板と点検踏み跡があり、カン違いして迷い込む登山者も多い。
急傾斜にあったトラロープも撤去さたところがある。

例えば笹郷塚山(笹子塚)などは、ピーク寸前の道標が無いので、初めてだと通り過ぎてしまうはず。
一方、とても重要な分岐にある昔の行政の?道標は腐って倒れたままだ。
だが、これらに新しい手作り道標を立てても、また抜かれるであろう。
つまり無許可の道標は、どんなに重要なポイントであっても、必ず撤去される運命にあるのだ。

不思議なことにマーキングテープだけは撤去されない。
ブラ下がった「表示のある布切れ」も生存している。
理由は測量者、林業者、有害獣狩猟者もテープを付けるので区別が難しいからだ。

迷い込んだ登山者もテープを付けっぱなしで脱出するので油断できない。
ということで、この市界尾根に、道標頼りの初心者だけで入るのはとてもアブナイのだ。

さーて、怒るのはこのくらいにして、本題に入ろう。

今日は前項で紹介した「尾崎農園」から降下して、更に上流を目指す。
正月の二日だというのに、冷たい沢にスネまで浸かって。
その上、ゴーロが延々と続く小糸川源流である。
あんまり長靴では滑るので、ドンキで1000円で買ったスニーカーを試す。
だがヤッパリいまいち。長靴よりはマシという程度。沢を離れるとかえって滑る。
といって、オークションでも数千円するステルス買っても、あと難年、沢が歩けるか分からんしねえ。

これが案内図です。
ロマンの森 白壁渓谷源流案内図


前回、降り立ったところから相変わらずのゴーロ。
ゴーロ1

ゴーロ3


だが段々、滑も顔を出すようになった。
生意気に淵もいくつか出てくる。だがどれも膝くらいで突破可能。
ナメ2

硫黄浸出

二俣1


延々と蛇行する沢筋には変化が乏しい。
目立って大きな支流も1本だけ。それも倒木で埋まってる。

いいかげんウンザリ、というか日の当たらない沢で足が濡れ放しでツベタイ。
左右は絶壁でエスケープルートも無い。
ヘアピンを曲がってふと左を見ると古いテープが!
一段上に明らかな人工的段差がある。
上がってみると、いくつも炭焼き釜の痕跡があるではないか。
椎の木も伐採されて若木の疎林の尾根となってる。

テープ頼りに倒木で塞がれた廃道の痕跡を登る。
邪魔な倒木をカットしていたら突然、人声が!!まさかこんなところに?
いや、数人の女性交じりのパーテイが上から降りてきたのとバッタリ。

「尾崎から登ってきた」「沢に降りて三郡山へ詰める」「市界尾根を北上する」そうだ。
なんだ、知る人ぞ知る尾根ルートがあったのか!
喜んで尾崎へ戻る尾根道をたどることにした。水の中は寒いもんね。
途中の目立たぬピークに山神様が。
山神様

道はところどころ崩れている。
崩壊点のコワイ石段

すぐに尾崎農園を見下ろすところへ。
尾崎農園からの川又大塚山

沢の蛇行があまり多かったので直線距離はわずかしか稼いでいなかったのだ。
2段構えの獣除けのネットを空けさせてもらって、日だまりの農園に降り立った。
尾崎登り口1

その後、確認したが、この尾根道を南下すると、三郡山と請雨山を結ぶ横尾林道に突き当たる。

なお、三郡山と請雨山との間の郡界尾根、およびその枝尾根は、ザラ場の痩せ尾根である。
乾燥してても極めて滑りやすく、両側が峻険である。スリップしたら一気に谷へ落ちる。

テープがあるので先人や、測量で立ち入った形跡はあるが、とてもアブナイ。
写真ではうまく表現できないが、ヘタにピーク通しで突っ込むと戻れなくなる。立ち入らないこと。
必ず横尾林道を利用すること。
DSC00228.jpg

DSC00231.jpg

DSC00229.jpg

DSC00232.jpg

オシマイ


中ノ沢探検

別項のように、小糸川の空白地帯で3本の沢を発見して以来、
君津市の古い地形図とニラメッコの毎日だ。

オヤ、3本の沢の更に西に、もう1本の小沢があるゾ!
「中ノ沢」とある。「仲ノ沢」とは別物なので混乱なきよう。
「小糸川、桜沢他案内図」を参照ください。

この地形図には、沢に沿って上流まで林道が描かれている。
だが国交省の地形図では消えている。と言うことは廃林道だな。
いずれ予定している「桜沢の西俣」探検の下降路に使えるかも?早速出動。

「西日笠舗装林道」 実際は生活道路なので、ここでは便宜上、市道と呼ぼう。
その中間点で、ひっそりヤブに隠れてた廃林道入口を見つけた。
かっては軽トラでも楽に通れたのだろうが、各所で崩壊しており、もう使えない状態。
倒木、倒竹だらけ、鉈鎌、手鋸で伐採して進む。ほとんど人は入ってない様子だ。

すぐ横の10mから20mのガケ下を中ノ沢が流れているのが見えるが、
沢というより倒木だらけの小川だな、とバカにしていたらオヤ、滑り台みたい滑滝が!
早速ロープで沢床へ下降。確かに滑滝は連続しているが、残念ながら大半は
ゴーロに覆われ、倒木で塞がれ、両岸からの雑木が覆いかぶさっている。
ステップあり

沢床

沢床2

どの滑滝も砂岩でザラザラなので滑らない。なのに、大抵、ステップか刻まれてる。
ということは、林道が出来る前までは、この沢が林業者の通路だったのだ。

更に源流へ遡行すると、ゴルジュはV字谷に変わり、急傾斜のヤブで行止まり。
林道も途中で大崩壊していてスラブが露出、そこで止まっていた。
これでは下降路として利用は出来ないなあ。

帰途、林道出口寸前まで来ると、沢音が大きくなってることに気が付いた。
これは滝でもあるか?と元来た道を取って返して、沢床へ再び降りる。
下流へ2、3回蛇行した沢の先には、、、、突然、川回しトンネルだああ!
しかもトンネルの向こうにもう1本のトンネル、2連である。なんで?

奥にもう1つのトンネル

古川は右手に曲がっていく。
何で2連トンネルなのか?後で分かったのだが、
沢筋がヘアピンカーブした尾根の付け根が、ご丁寧に二俣に分かれてたのだ。
つまり尾根の背がポッコリすり鉢大穴状態。なんでそうなのか?分からない。
トンネル開通前は大きな深い池だったのか?
それとも尾根上に、岩でないくぼみのような弱点があったのか?

だからトンネル掘ってたらポッコリその池の底へ飛び出した。
池の底が抜けて、水がどっと流れ出た?そして池は干上がった?
仕方ないからそのまま更にトンネルを掘り進んだ、ということかなあ?
不思議な地形である。

1本目のトンネルをくぐると、水流は大きな淵に落ちてる。
2連トンネル中間の淵

濁っていて深さが分からない。左岸の岩壁にはバンドがあり、
なんとか数メートル先の次のトンネルまで行けそうだが、流木が詰まっていて、
踏み抜いたらポシャンだ。君子、危うきに近寄らず。

戻って「古川」を進むことにした。
だが古川はヘドロ沼と化し、これも深さが分からない。
古川のヘドロ沼2

たった100メートルの古川。一体、何のための川回しだったのか?
川筋を、ただまっすぐにしたかっただけなのか? 分からん。
1歩、1歩、ズブズブ沈む底なし沼の足元を確かめながら灌木をつかんで行軍。

ようやく安全圏まで進むと、なんと、そこは2本目のトンネルの出口滝だあ!!
なかなか立派、三間川の「開墾場の滝」ソックリさんのミニサイズ。
川回し滝

アリャ、滝壺に変なものが浮いてる。若い鹿の死体だああ!!
鹿の死骸
どうやっても写真に写り込んでしまうのには参った。
オレもいずれはこうやって野垂れ死にするのかなあ、、、

30mほど下流に進んだところで高さ2mのコンクリ壁で行き止まり!
ではなくて、その左隅に小さな手掘りトンネルあり。水流はそこに吸い込まれてる。
市道トンネル入口

かがみ込まないと入れない。なんでこんなに狭いんや?
大雨降ったら水流は抜けきれない。だからコンクリ壁があるんか?
この上には市道が通っているのだ。

トンネル奥からゴーゴーと水音が聞こえる。内部に淵があるらしい。
しかも出口が見えず真っ暗。中で直角に曲がってるらしい。
ここも数メートル進んだところで撤退。君子、危うきに近寄らず。

どーしてこーなってるのか? 
img089.jpg
図にすると、こんな感じです。

推測すると、、、、
市道が沢を渡るには橋が必要、でも橋は工事費が高い。
デカイ土管を置いて沢水を通し、その上に土手を築く。土手の上に市道を通す。
これが一般的だ。

でも沢が深すぎると大規模になり、長い土管(ヒューム管)が必要。
それを持ち込むには大型トラック、重機が必要。
当時はそれが入れなかった?

そこで沢の側壁にトンネルを掘る。中間で向きを変えて掘り進む。
ポッコリ下流の側壁に飛び出す。
それから沢をコンクリ壁で塞いで土手で埋める。
沢水はトンネルを迂回して流れる。めでたし、めでたし。
これも川回しの一種だ。ほうぼうの林道で、こういう工法を目撃したことがある。

ということは長い土管よりも、長いトンネルを掘るほうが安上がりだった?
人件費が安い昔のことだなあ。

市道に戻るために2連トンネルの上尾根に這い上がる。
そこからは、古川全景と、すり鉢穴の底に2つのトンネルの間にあった淵が見下ろせる。

市道に上がると、その南側にある、密集した竹ヤブ越しに、辛うじてミニサイズ川回し滝が見えた!
この竹が全く無かった当時は、ここから簡単に滝見物が出来たのだろう。

市道の北側には植林帯あり。そこにムリヤリ潜り込むと溝道が沢床へ下っている。
上から市道下のトンネル出口が見える。
DSC07665.jpg

沢床へ下りたらチョット戻ればトンネル出口下。
市道トンネル出口

下流に進めべ2つほど淵が連続していて、その先は平らな沢床。
下流の淵

そしてその先は小糸川本流に滝上に落ちているはず。

今日はこの深い淵を突破するのはヤメタ。
なぜかって? あの鹿の死体が上流にあるんだ。
さすがに腰まで水には入れないさ。

とにかく全身ドロンコ、ザックもドロンコ。倒木くぐり、ドロ沼渡りの連続。
と悪口ばかりだが、それは沢のせいではない。
今、房総の沢はどこも同じようなものだ。

どの倒木、倒竹も腐りきっていて、何十年間もそのままだったらしい。
ということは昔の大雨で沢を塞いだものが、その後に大雨がなかったので
排出されないままとなってるのだ。
次の大雨台風で流失すれば美渓になること間違いなし。
地元の人には申し訳ないが、その日に再訪しよう。

オワリ












プロフィール

ゴンベ

Author:ゴンベ
房総の沢、滝探検、ヤブ山探検、地形調査、デインギー(ヨット)などを書いていこうと思っています。
分かりやすいように書いていくつもりですが、もし分かりにくいことがあればコメントをいただければ可能な限り答えます。
読んでいただければ幸いです。

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