fc2ブログ

和船(その歴史)

(スキャナーが古くて、画像がはみ出てしまうので、クリックして見てください!)

厚ぼったい上下2巻の本を図書館で発見。  というか、昔、読んで途中で放棄した記憶が、、、

「和船」 Ⅰ巻、ⅱ巻   石井謙治著  法政大学出版局発行
DSC00235.jpg
表紙のデザインは出版局共通であり、この本のテーマとは関係ない。

何で放棄したかというと、内容が海事、造船の関係者、船の歴史研究者向けなのだ。
私もかってはアマチュアヨットマンであり、ヨットの自作までやった船マニアの端くれであるが、
それでも専門的用語が飛び交う。
更には、、、、大正生まれの著者が駆使する「古語」「漢語}がツライ。
なにしろ話が古今和歌集、遣唐使船、壇ノ浦の戦い、信長の軍船、朝鮮出兵での海戦、
徳川300年、幕末、明治政府と、ものすごく長大だ。

だがこの本は和船のバイブルとして権威を持ったものであることは間違いない。
特に、文中で度々、同業の研究者をケナシているのがその証拠である。
更には、、、天下のNHKテレビが、リアルタイム・ドキュメンタリーで放映した
「北前船の復元と航海」までもボロクソに批判している。ある意味、痛快な文章である。
著者は、この業界では恐るるものなしの「ドン」なのかも?

弁才線絵馬

この本で言う「和船」とは、、、、
年賀状に描かれる宝船、葛飾北斎、安藤広重の浮世絵版画に描かれた「弁材船」である。
ナニソレ?  千石船、樽前船、北前船、北国船、、なら知ってるけど?
いや、これらは用途と航路、細部仕様が異なるだけで呼び名が違うが、全て「弁材船」なのだ。

第1巻は、「弁材船がいかに優秀だったか」の礼賛に終始している。
1.櫓や櫂(ロ、カイ)を使わずにほとんど帆走でこなした。
2.オープンボート(水密甲板が無い)なので荷役が簡単、軽い貨物は高く積み上げた。
積載

3.引上げ式の舵板を採用。荷役のため、避難のため、どこの浅い港でも砂浜でも入れた。
  平底なので引き潮になっても転倒しない。船底を掃除出来た。
  舵板の面積を巨大にしたので、「間切り」(ジグザグに風に向かう)回転が素早く出来た。
キックアップラダー

4.平底船、なおかつ横帆ではムリと言われた「詰め開き」(切り上がり、クローズホールド)
  つまり風上に向かって最大60度くらいまで帆走できた。
  理由は横帆にしては正方形なので「アスペクト比」が洋式帆船より大きかったから。
    (同洋式横帆の練習船「日本丸」はの横帆は長方形。70度が限度。
      現代ヨットは45度ぐらい。最新のレース艇は30度近くも風上に上れる)

  竜骨(キール)の目的は横流れ防止の役割がある。
  帆船は「デイープキール」つまり竜骨が深く水中にあったのでクローズ・ホールドが出来た。
  現代ヨットはセンターボード、ダガーボード、フインキール、バラストキール、ウイングと、
  次々に進化してきた。
  ヘイエルダールの「コンテイキ号」もイカダの間にボードを挿し込んでだ。
  弁材船はどうやったかと言うと、船首を鋭く、深く水中に入れた。
水線下船型

  といってもそれほどのことではない。
  水中の側面積が大きいことが横流れを防いでいたのだと思う。
 
  もう一つある。舵板の面積を巨大化させたのだ。これも水中の側面積を広く分担できた。
バランスド・ラダー  
  だがこれでは舵板の保持力が巨大になる。
  これを解決するのに「バランスド・ラダー」にまで進化した!本当か?
  舵軸に「根曲がり材」を使って舵板の前端ではなくて水圧中心にしたのだ、
  といっても僅かだなあ、、、

  バランスド・ラダーは船舶、ヨットに限らず、航空機にも採用されてる。
  ヨットでは「スペード・ラダー」すなわち「ウチワ」みたいに中央近くに軸があるものすらある。
  だが舵板の下端に軸受けが無いと全ての水圧、空気圧が舵軸にかかって折れる!

  舵というのは追い波、追い風に弱い。水圧、風圧が逆転するからだが。
  「崩れ波」に乗ってしまったヨットは水流に追い越されるので、舵が全く効かなくなる。
  あるいは逆方向に効くので「ブローチング」つまり、いきなり横向きに曲がって転覆する!
  これに対処するには逆舵、つまりカウンター・ステアーを切るのだが、、、
  F-1レーサー並みのハイテクニックだから初心者にはムリだ。

  かって、台風に襲われた飛行場で、駐機していたジャンボジェットのラダー
  (垂直尾翼、方向舵)が追い風方向の風圧で軒並み壊されたことがある。
  強風時には飛行機もカモメみたいに風上に向けて駐機しなければならないのだ。

  ちなみに弁才船やヨットの「テイラー」(舵棒)はやたら細い。そこらの木の枝だ。
  理由は簡単、人間の腕力で動かすだけだからそれに耐えればいいから。
  それと舵板が壊れるような過大な水圧がかかったら先ず、テイラーが折れたほうがいい。
  テイラーは他の棒で代用できるが、水中の舵板は応急修理すらできないからだ。

4.大阪~江戸をノンストップで最短60時間で帆走した。セールエリアをドンドン大きくした。
         (現代ヨットでもノンストップ3日間は厳しい)


だが、著者の弁材船の礼賛はヨット乗りから見ると非常にムリがある。
水密甲板を持たなかった点は致命的な欠点である。沿岸航海ですら危険だ。
帆走すれば必ず傾く。(ヒールする) そこに向かい波が来れば「水船」になって沈没する。
ヒール時
こうして見ると、平底というより「ラウンド・ボトム」に近い。
ラウンド・ボトムは簡単にヒール(船体傾斜)が始る。つまり「腰が弱い」フネだ。
むしろもっと平底の四角いボトムのほうが初期の傾斜は少ない。
今の輸送船は船体中央部はほぼ四角い断面にして、積載物の移動を防いでいる。

追い風になるまで「風待ち港」に待機した。
だが風待ちすると、再出港にまた手間がかかる、経費が増える。
船頭はムリを承知でイチカバチかで出航する。悪循環だ。
オープンボートに甲板上まで目いっぱい荷を積み上げたなんて自殺行為だ。
風圧を受ける。積み荷は波浪でビショビショになって重くなる、重心は上がる。
結局、「トップヘビー」で転覆する。

当時の中国の「ジャンク」は水密甲板の上に、もう1層のスノコ状の甲板があった。
潜水艦並みだ。そこには荷物は積まない。歩くだけだ。
それを日本人は知っていたのに、、、弁才船は「水密甲板を」作る気なしだったのだ。
人命軽視、荷役経済性最優先!これが致命的欠陥だ。
きわめて多くの海難、沈没、漂流事故が発生した。神頼みの航海だ。

でもドイツで見た「バイキングシップ」の復元船だってオープンボートだった。
コロンブスが大陸を発見するずっと前にバイキングが北米まで渡ったことが分かっている。
バイキング船は、乗員のほぼ全てがオールを漕げる構造だ。大きな横帆とキールがあった。
細身の快速舟だ。船底にはバラストとして石を固定した。
荒天になれば、波が入らないように風に向かって必死で漕ぎまくったのだろう。

現代でも、オープンボートでの外洋横断の記録はいくつかある。
だが、これらは「ダブルボトム」になってる。水密デッキが水面より上にある。
なおかつ「セルフベイラー」や「オープン・トランサム」で自動排水が出来る。
  
引上げ式の舵板の脆弱性も非常に危険だ。無謀としかいえない。
舵のシャフト軸受けは上端にしかない!しかも半円の窪みだけ!
上端を支点にして半円に回転して引き上げるので下端に軸受けは無い。
舵板本体は左右のロープで引き寄せてる!
これでは荒天の追い波を受けたら外れる、暴れて壊れることマチガイなし。
キックアップ・ラダー2

現代の小型ヨット(デインギー)にも「キックアップラダー」がある。
だが舵軸の軸受けは上下2ケ所にあり、下端を支点にはね上がるから強固である。
ヨットのキックアップラダー
  
さらには、、、リーウエイ(横流れ)対策の舵板面積の拡大は、
側面積が船首と船尾に集中するのでかえって旋回性を悪くする。保舵力も過大になる。
現代ヨットのバラストキールやフインは船体中心にあるので旋回性を妨げない。

かっての中世には日本中にローカルな船種、船型があった。
だが秀吉の朝鮮出兵に伴う大量造船を迎えて困り、それらの統一化が進んだ。
さらに江戸幕府の確立により、大規模城下町ブームとなり、建築材料としての木材、
食材、酒、綿花、、もろもろの流通機構が発展した。

だが船は相変わらず櫓、櫂(ロ、カイ)で推進するものばかり、帆走は補助だった。
多数の水主(カコ)つまり奴隷のような漕ぎ手を必要とした。これでは大型化すらままならない。
そこで、帆走主体で航海で来るように帆を巨大化したりして改良が進められた。
それが元禄の頃に完成形になった弁材船なのである。
でも船型自体はほとんど変わっていない。
勿論、出入港には櫓を必要としたが、あくまで航海中は帆走となった。

和船の技術的最盛期、最終期は徳川300年の鎖国時代だった。
そもそそも鎖国という呼び方は明治以降に現れた!なぜか?
明治政府は、江戸幕府の政治を全面否定したかった。
「寺社廃仏」とかヒドイことをやった。だから鎖国という言葉を使った。

鎖国と言えばオランダ以外は全く諸外国を受け付けないと思われてきた。
そんなことはない。キリスト教の弾圧、密貿易の取り締まりとかはあったが、
朝鮮半島はもとより、中国、台湾、フィリピン、ベトナム、その他、、、
東南アジア各国との交易は普通に行っていた。欧州各国ともオランダを通じてやってた。
いろんな欧州人も来日して、徳川幕府の上部と接触していた。
黒船来航も唐突ではなかった。幕府はあの大型帆船の知識はあった。

和船も明治政府から全面拒否された。だが昭和の初めまで普通に就航してた。
「幕府が構造を制限したために、和船は海外渡航できる性能、構造、耐久性を失った」
と喧伝されてきた。事実、私もそう習ってきた。
幕府のご禁令は、、、
1.外洋航行可能な巨大船は作ってはならない。
2.波浪の浸水を防ぐ「水密甲板」を設けてはならない。
3.強度、耐航性を高める「竜骨」(キール)を設けてはならない。
だが、こんな禁令は存在しなかったのだ。

木造巨大船のサイズの限界が来たのは経済的な理由だった。
天災、飢餓、大火のときは積荷が減って廃船したり、小さくなる。
だがその後の復興景気にははドンドン巨大化させて省力化をやった。
その繰り返し、まるで現代の運用業界みたいなもんだ。

日本の天候は、世界的にも稀なくらい変化が激しい。
有名な北前船、北国船などの日本海の航路は、実は冬の季節風が吹き荒れる
冬季12月から3月まで完全に禁止されていた。このことは一般には知られていない。
冬の季節風が日本アルプスの脊嶺で遮られる太平洋側といえども、
新幹線が毎冬、雪で止まる名古屋、米原あたりは同じように危険だった。
富士山からの吹きおろしも強かった。伊勢、志摩、御前崎あたりは海難の名所だ。
秋になると日本海を低気圧が通り、太平洋側は数日の間、西の強風が続く。
これは「大西」と呼んで恐れられた。台風だって、全く予期できない時代だった。

だが大消費地の江戸への物流は止められない。
江戸っ子は、1人当たり毎日1合の酒を飲んだ!灘の新酒が来なければ困る。
命を懸けても廻船問屋は儲かった。有名な紀伊国屋文左衛門の世界だ。
船頭は最短距離をノンストップ航海。当然、どこかで荒天に捕まる。

最後に和船を見たのはいつだったか?
戦時中、4歳のときに日本橋の水天宮近くに居候してた。
近くの橋へ行って下を見下したら、川底が見えるほど澄んでいた。
大きな和船が抜けていったのを今でも覚えている。
1本の長い櫓(ロ)を高齢の夫婦2人してゆったりと漕いでいた。
櫓船は必ず左右に揺れるはずなのに揺れてなかった。
多分、あまりに和船が大きかったからだろう。
そのあとすぐに東京大空襲!あの夫婦はどうなったのだろうか、、、

昭和30年代には東京湾の運河に水上生活者が何所帯もいた。
ダルマ船と呼ばれる動力無しの「ハシケ」の和船の中で生活し、荷役作業を請け負ってた。
昭和50年代でもダルマ船は係留されていた。

日本の巨大木造船が絶滅したのは、いつ頃だったのか?
私が最後に見たのは35年前、伊勢湾の「佐久島」の東側の廃港に朽ち果てた巨大木造漁船と、
東京の「悲劇の福竜丸保存博物館」だった。
でもあれは「和船」ではなくて「木造洋船」である。
こんな巨大な木造構造を、よくもまあ作れたものだ。
しかも脆弱なこの船に乗って遠洋漁業に出たのだ。先人はスゴイ!命知らずだったのだ。

和船と洋船の違いとは何か?、、、、、

和船は、、、、、
スゴク厚くて長い「一枚板」をハギ合わせて、更に幅広の「一枚板」にする。
これを「蒸し曲げ」したり表面を焼いたりして木を柔らかくし、すかさず曲げたり捩じったりする。
この状態で船を形作り、すかさずハギ合わせていく。
なので板の自然の曲がり具合の結果として「船型」が出来上がる。

ハギ合わせ面には「合わせ鋸」を切り込んで面を合わせる。
そして「木殺し」(ハンマーで木のコバ(木端)を潰す。水に浸ると木が膨張して水密になる。
はぎ合わせ

ハギ合わせに大活躍するのが軟鉄製の「舟釘」だ。これにはいろんな形が工夫されている。
だから葛飾北斎の浮世絵にも描かれてる和船にも、点々と舟釘を打った穴が黒く並んでいる。
これが和船の外観的特徴となっている。
出来上がった和船は非常に重い。隔壁はなし、左右幅を抑えるビームだけである。

沖縄のカヌー「サバニ」もハギ合わせ板で作られてる。
だが舟釘ではなくて「駒、コマ」を使う。サバニと同じような木造船は東南アジアにも多い。
丸木舟の時代は、船底は丸木を使って彫り、舷側をコマでハギ合わせて大型化された。
コマによるハギ合わせ

洋船はというと、、、、
先ず背骨としてのキール(竜骨)を中心に据える。この左右に多数の肋骨(肋材、フレーム)や
バルクヘッド(隔壁)を固定していく。
そして肋骨の間に比較的薄い、幅狭の長い板(プランク)を打ち付けて船型を形作る。
水密には、板の隙間にコーキング(ロープをほぐしたものなどにタールを浸み込ませる)を
突っ込む。この構造は「カーベル、カウベル」と呼ばれる。牛が首にかけるベルの形だから?
この構造は飛行機と同じで軽量に出来る。
プランキング

バイキングのフネは板の端を少し重ね合わせた「鎧」のような作りになっている。
これは「クリンカー張り」と呼ばれ、北欧のボートに共通した作りである。
「波返し、スプレー・ストリップ」の役目も兼ねている。

現代の木造ヨット、ボート、カヌーは、ハギ合わせのような「点接合」ではなくて、
全て「面接着」である。一体構造なのでピンポン玉のようにものすごく強い。

話を戻して、、、千葉の館山新市「海の博物館」へ行けば、本物の「和船」(弁材船)が見れる。
いつもハイテンションな「サカナクン」!で有名なスポットだ。
各種の舟釘と、その使われ方も展示されてる。
ただしコレクションは小型漁船、中型漁船ではあるが、今では貴重な現物そのものである。
木造船は露天には置けない。屋内保管にはカネがかかるので大変だ。


私が50年以上前、30代で背骨骨折、100日も入院した横須賀の金沢病院の話だけど、、、
隣のベッド仲間は能登半島は「七尾」の出身で50代の純朴、温厚な元漁師だった。
造船所で働いていたが、天井クレーン操作マンのミスにやられて、移動してきた鉄骨が
止まり切れずに大きく揺れて彼を直撃、骨盤骨折に!
看護にやってくる奥さんは同郷の美人だった!退院は私よりやや早かった。
だから何なの?いや、別に、、、、

彼は毎日、能登半島での過酷な漁師生活を話してくれた。
沖の漁場まで、小さな木造船でタイ釣りに行く。エンジンは無い!
3時間も櫓を漕ぎ続けて釣り場に到着。そして一本釣り。
帰りは、運が良ければ帆に追い風を受けて楽に帰航できた。
だが、、、運が悪いと強風にやられる。その時は帆柱を切り倒して運を天に任せて漂流。

毎年、海難で漁師は何人も死んだ。それが怖くて横須賀に働きに出てきた。
でも当時の都会の工場でも安全ではなかった。
「命と交換、日本鋼管!」などと揶揄されるほど、造船所の人身事故も多かったのだ。

書きかけです。
スポンサーサイト



ブリキの船!

img115.jpg

ヒマにあかせて動画検索していたら、、、

ロシア?東欧?の湖沼地帯で2人のジイサンがフネ造りを始めた。
船匠なのか、アマチュなのか不明。

まず材木屋のトラックが長尺の厚板を大量に荷下ろし。
次の宅急便トラックからは、幅1mくらいの普通のトタン板(ブリキ)の巻物を何本も下す。
厚板は裏庭に、セオリー通りに隙間に角材を挟んでん積み上げる。
雨を防ぐビニール屋根をかぶせて乾燥開始。、プロの造船屋なのか?

さて開始、、、、
厚板を台に置いてこれを平底の中心キールとする。
先端、後端にステムを立てる。
中央に角材を組み合わせた肋骨材を1つ立てる。
最上段の外板を曲げて、前後のステムにネジ止め。
これでダブルエンダーのカヌーを作るんだなあと判明。
ビームを兼ねた座席用の幅広板を入れてさらに曲げる。
これでスケルトン・カヌーが完成。防腐塗料を全面に塗る。この段階でなんで?
スケルトン・カヌー

さあて、次はどうする?
アレ、フネを台から下して、台上にブリキ板のロールを広げた。
その上に再びスケルトン・カヌーを乗せる。そして、、、
いきなり、まるでブリキ板を風呂敷みたいにフネを包装するように巻き込み始めた!
ブリキの外板

あらかじめシリコンシーラーを板に塗り、その上から全長の中間点の上外板とブリキ板を釘止め。
段々、曲げながら上外板の前後へ固定していく。
当然、釘先は突き抜けて反対側へ飛び出す。
ステムにもブリキ板を強引に曲げてネジ止め。先端が余ったブリキはカット、重ね折り曲げてネジ止め。
ここもシリコンシーラを塗り込む。
当然、中間点はブリキは余る。それも折り曲げて打ち付ける!ちょっと角が出来るが気にしない。
シエア材の内面に飛び出した無数の釘先はハンマーでボコボコ折り曲げてオシマイ。
ブリキの折り込み方

これで弁当箱みたいなカヌーがいきなり完成した。
さらに外側からブリキの切り口隠しの木板でお化粧。
ボトムをペンキ塗り。
ブリキおカヌー完成
近隣の注文に応じて何隻も作っているらしい。
湖沼地帯だからすぐには錆びないだろう。長靴で釣り、ハンテイングに出かける。
日常の実用品なのだ。
そして沼と沼の間の移動はヤブの中をズルズル引きずっていく。
なるほど、だから鉄板なのだ!無敵である。

だが、、、沈したら鉄板だと確実に沈むのでは?

このカヌーは、以前に紹介したベトナヌの「廃ドラム缶利用のサンパン」に共通した作りだ。
だが貧しさ故の作りではない。この大らかな、大陸風の知恵を見習いたい。
生活のための自作の原点を見た。とても楽しそうなフネ造りでした。

そのあとに見つけたのだが、ブリキカヌーにはバリエーションがあった!
平底部分だけをブリキにして、前端のステムは「橇」ソリになってる。
しかも後端のスターンは側面外板が「持ち手」になってる。
まさしく引きずるために生まれたボートなのだ。
ソリ型のブリキのカヌー



もう一つ、不思議な「丸木舟」の作り方の再現の動画を見た。
これもロシアあたりの寒いところらしい。

まず直径数十センチの大木を切り倒し、数メートルの丸太にカット。
外形を丸太船の形に削る。これを丸木舟に彫り抜くらしい。ここまでは普通。
斧、ノミ、カンナを総動員してひたすら掘る、掘る。大変な作業である。
昔の作り方の再現実験だから電気工具は一切使わない。
丸太カヌー奥底

だが、、、、、手にした完成模型を見ると船の全長の中間部はCの形にしか彫り込まれていない。
これでは座るどころか腕もやっと突っ込めるだけ。それに円筒形だから全く復元力が無い。なんで?
それでもガンガン掘る。
焚火
とりあえず形が完成したところで、外の雪原で焚火を始めた。暖を取って休憩かな?
そうではなかった。丸木船の前後を台に乗せて、中間点だけをあぶり始めた。
加熱曲げ

焦げるばかりに加熱しながら今度は内側に小枝を突っ込んで「C」の字を押し広げてゆく。
つっかい棒となる枝の長さを増しながら間をどんどん広げる。
とうとう人間の腰が乗るほどに、半月形になるまで、めいっぱい広げていくのだ。
丸太カヌー完成

そうか!これでベトナムの小型サンパンみたいなカヌーの形になったのだ。
だがラウンドボトムのカヌーは、いかにも復元性が弱く、横波で簡単にひっくり返りそうだなあ。

オシマイ






プロフィール

ゴンベ

Author:ゴンベ
房総の沢、滝探検、ヤブ山探検、地形調査、デインギー(ヨット)などを書いていこうと思っています。
分かりやすいように書いていくつもりですが、もし分かりにくいことがあればコメントをいただければ可能な限り答えます。
読んでいただければ幸いです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR