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スポーツカーのスタイリング昔話

入社式を終えた我々フレッシュマンは、横浜工場の本社会議室へ集合。
当時の日産本社はここにあった。たぶん、戦前の建物だと思う。
会議室となりの、ギシギシ音のする木張りの廊下の先に社長室がある。
川又社長は自らクルマを運転して、正門ロータリーを回って玄関に出勤してた。

会議室からは次々とオフラインしてくる新車のダットサントラックが見える。
なんと、それにに混じって、何台かのダットサンスポーツが出てくるではないか!
外観は既に発表されていた「東洋紡」と提携して作られたFRPボデイである。
だが何か違う?

そう、フロントサスがダットサン流用のリジット・リーフスプリングのはずが?
トーションバー・スプリングを使ったインデペンデント(独立懸架)なのだ!
つまり、一緒にオフラインしてるダットサントラックと同じだ。同じラインで生産されてる!
休憩時間にコッソリ近ずいてボデイをたたくと鋼板!ナンダコレハ?
ダットサンフェアレデー
絵は昔のノートのスケッチを切り取ったものばかり、稚拙で失礼。

オリエンテーリングが一段落して、技術課長が「何か質問は?」
早速、「あのスポーツカーはFRPではないですね?」と。
「なんでそんなこと知ってるのか?」そう、私は昨日までクルマオタク少年だったのだよ!

日産は、何も公表しないまま、FRPダットサン・スポーツのボデイを鋼板に変更して、
さらにフロントサスを独立懸架に変更したダットサントラックの上に乗せてたのだ!
北米向けしか売ってなかったので、国内にはプレスリリースするのを忘れてた??
FRPボデイは軽いが量産性は極めて悪い。
かのレイモンド・ローウイがデザインした、スチュードベーカー社の「アヴアンテイ」は
FRPボデイだったが量産に失敗して撤退した。
ロータスは、初代エリート、エラン、イレブンはFRPだったが、どれも少量生産。
日本の「フジキャビン」もFRPだったが、わずかで終わった。

新ダットラ・ベースだから、工場の中を走り回るのも空車の小型トラック並み?
実に軽快!海外では小型トラック(ピックアップと呼ぶ)のダートレースまである。
ボデイがモッサリ丸くて腰高、お世辞にもスポーツカーとは言えないが。
キュートなオープンカーとして、北米では人気で「ドル箱」だったらしい。
え、ドル箱って、知らない?

このあと、配属された場所は、同じ敷地内の古い戦前のビル、
そこに購買部、実験部、試作部がひしめいていた。エアコンなんざ無し!
工場街の大気汚染は最悪で、暑くて窓を開ければ、ホコリとも煤煙ともつかない粉が吹き込む。

3年後、鶴見の生麦に新ビル設計センターを建てて移転した。
そっちは「廜殺場」トサツバ!の隣。 朝から晩までブタ、ウシの断末魔の声が聞こえてくる!
反対側は化学工場、黄色い煙がモクモクと。
大気汚染はますますひどく、新人の女の子1人は、喘息になって本牧地区に配転。
本社機構の購買部は、社長と一緒に銀座の本社ビルに引っ越していった。ウラヤマシイ。

実はこの公害、鶴見の地は今や、かの有名な「大黒町インター」となったのだ!信じられない。

入社以来、私の面倒見てくれた先輩、と言っても同年齢、親友である。
既に2年前から入社していた。夏は2人で妙高連山の縦走もやった仲。
この方はいずれ部長職まで出世した優秀な人材。ヒラで終わった私とは違う。

当然、社内のことに詳しく、昼休みにはお宝さがしの社内探検を2人でコッソリやった。
新設したばかりの設計センターは、広大な工場跡地の片隅、
空き地には、木造の今にも崩壊しそうな戦前の廃屋が並び、そこが廃棄物倉庫になってた。
なんでも以前、「富士自動車」という会社があったと。
そこの設計者も日産に引き取られて、私の机の周囲に何人かおられた。

「あの廃屋に実物大の造形クレイモデルがある」とそそのかされて、不法侵入!
造形課の廃棄物の山を乗り越えると、うす暗いその先に、、、、
フィアットみたいな真っ赤なスパイダーが壁に寄りかかってる!なんだこれは!
「2代目ダットサンスポーツ」の、日の目を見なかった習作だったのかも?

もう記憶が怪しいのだが、初期型サニーの長尺タイプもあった。かっこいい!
サニーの発売型は、このクレイモデルのホイールベースを縮めたそうな。
ちなみに初代サニーのフロントエンドの造形は、系列の名古屋の愛知機械工業から
造形の応援に来られたデザイナーが手掛けたと、後年、そのご本人から聞いたっけ。

「試作課にスポーツカーが入った!」との情報、これまた2人で出動。
なんと、作業場の前に、スポークホイールのアストン・マ-チン風が!!
いや、ブリテイッシュ・カラーならグリーンなんだけど、それは真っ赤だった。
系列コーチビルダーの「アルファ・モーター」だったかな?が、初代ブルーバードを
ベースに作ったとか?

「今度は、吉原工場からナゾの試作車が入った」との情報!ナンデ吉原か?
どうも当時は、吉原工場にも設計、試作があったらしい!
またしても2人で仕事にかこつけて出動。遊んでばかりだ。
作業場の奥の暗闇の隔離カーテンをコッソリめくって潜り込んだ。
ダットサン・フェアレデイSP310

狭い片隅に、灰色の「MGソックリさん」のオープン・スポーツカーが!!
いや、けっこうエッジが張ってたけどね。
なんで灰色か?当時は「チャコール・グレー」のトレンチコートがはやってたのだ。
同じく、初代ブルーバードのフレームの上に、ボデイをデザインしたと。
ちょっと荒削りな、尻下がり。既製品の丸ランプがテールに縦並び、
いかにもあわてて、そこらの部品を流用して作った感じだ。
だが、これはそのまま初期型フェアレデイとなって販売された。
排気量を上げて、鈴鹿グランプリ出場も果たして、日本でもアメリカでも人気になった。

個人的には、先のアストン・マーチン風のほうが良かったけど、
テスト走行で、スポークホイールが緩んで手の打ちようがなかったらしい。

そして1年後、またまた「スゴイ試作車が!」と。2人で再びコッソリと試作課へ出動。
またまた立ち入り禁止コーナーのカーテンを揺らさないように潜入。
そこにはメタリックペイントの、軽やかな2シータークーペが!!!
ショートデッキ・ロングノーズ!こんなクーペなんて初めて出会った。
インテリア・デザインも落ち着いている。
ボデイ全周を取り巻くエッジング・ビード、これは、「クリスプト・カット」というらしい。
その当時のシボレー・コルベアからのトレンドスタイルで、その後、世界的に流行した。
初代シルビア
強いて言えば、ステアリング・ホイール(ハンドル)がやたら手前に出っ張ってること。
当時のクルマは大体そんなものだったけど、ちょっと違和感あり。
多分、ベースとなったフェアレデイの改造が間に合わなかった?
「無冠の帝王、スターリング・モス」の影響で、後年、「ストレート・アーム・スタイル」に移行。
ステアリング・ホイールの位置は後年、どんどん前方に短くなっていったのだ。
このクルマは量産というよりも、前出の「アルファ・モーター」が、ハンドメイドで
少量生産したカスタムカーに近いものだったと思う。

以前は、初代シルビアは有名なドイツのデザイナーを招いてデザイしたという説だった。
しかし、それはおかしい。
今では「助言を受けながら、日産の木村一男氏がデザインした」と改めらた。

木村さんは通称、キムさん。まだ若くて、とても気さくな方だった。
「初代サニークーペ」もデザインされた。これも素晴らしいスタイリングだ。
初代サニー・クーペ

キムさんは才能とセンスが溢れていたのだ。

ところが、、、しばらくして姿が見えなくなった。聞くところによると病気退職したと!
でもタイミング的に私には信じられなかった。何かトップと軋轢が??
何十年も経て、名古屋で聞いた話は、、、
キムさんは名古屋のデザイン業界の重鎮になっておられた!

何年もたったある日、設計部のフロアーが慌ただしい。
なんでもロスから有名人が来るとか?
ゾロゾロ、取り巻きと一緒に、大声の元気いっぱいのVIPが入ってきた。
それがかの有名な北米日産販売のミスターK、片山豊氏だったことは後から知った。
アメリカナイズされて、オープンマインドの彼の会話には、地味な我がヒットラー部長も
苦笑いするだけだった。

そういえば、この間から、これも真っ赤な「ホワイトボデイ」?が試作課にあった。
それが初代フェアレデイーZなのだ。
提案者の片山氏が直接、現車チェックに帰国したというわけ。
まあ、私の好みとしては、露骨なフェラーリのコピーなのが気に入らなかった。
さすがにヘッドランプの透明カウリングだけは、運輸省の規則で禁止されてたので
コピーできなかった。
案の定、現地では「プアーマンズ・フェラリ」としてヒットしたのだから文句は言えないけど。
フェアレデイZ

Zは、その後、どんどん大型化して、今はスーパーカーを目指してる?
スポーツカーというのは小型、軽量、小排気量でなくちゃ面白くもなんともない!
「小、よく大を制す」最高速ばかり自慢するのは愚の骨頂だ。
イヤ、貧乏人のたわごとでーす。

オマケ話

ヘッドランプのカウリングで思い出した。
今は解禁されて、たいていのクルマにプラスチック・カウリングがくっついてるが、、、、
ヒドイもんだ。紫外線や熱で数年もすれば黄色く変色してくる!
まさか定期交換部品?こんなもん、よく大企業が売ってるね。
安全上、ガラスにはできないけど、プラスチックが太陽光線やランプの熱で
変色するなんて当たり前だ。それを解決できないまま平気で採用した。許せん!
照度、照度とウルサイ運輸省、オット国交省も監督不行き届きだろうが?
さすがに最近のプラスチック・カウリングは長持ちするようになったけどね。

「プロジェクターヘッドランプ」の採用時もおかしかった。
すれ違うと赤、青と、「虹色」が見えたのだ!
「クルマの前方には白色、または黄色だけしか見えてはいけない」はず。
かってフランス法規が黄色ヘッドランプを強制していたし、
フォグランプは黄色だったので法規には黄色が残ってる!
黄色は霧の中でも見えるというが、たいして変わらなかった。
BMWが最初にプロジェクタータイプを国内で認可されたから、
国産車だけダメとは言えなくなってしまったのか?

かって国産車への行政指導、自主規制は沢山あった。
メーカーは、さんざんイジメラれた。法規には全く無いのに、いろいろ規制されたのだ。

1.真っ赤な車体はダメ! 消防車と間違われるから。でも輸入車は黙認!
2.扁平タイアはダメ!   暴走族を助長するから。
3.ドアミラーはダメ !   首を回さないと見えないから。でも輸入車は黙認!
4.スポイラーはダメ!    
5.オーバーフェンダーはダメ!
5.速度警報ブザーは義務  100km超えでキンコン・カンコンと鳴る。
                   もっともこのブザーはサウジの王様が気に入って持ち帰った。
                   向こうではスピードオーバー事故が多い。
                   いまだにサウジでは義務付けかな?

数えきれない行政指導。それが小泉内閣の規制緩和で一気に解禁!
今はなんでもあり。
一体、かっての行政指導は何だったのだ?ええかげんにせい!

オシマイ












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房総 君ケ谷城址(二又山要害)トライアングル!

地元では「要害」(ヨーゲイ)とか二又山と呼ぶらしい。
だが富津市では「君ケ谷城址」と名付けてる。
もっとも、目の前で田んぼを耕してる人に聞いたら、、、
「城址?そんなもん、無いよ」と。  どーなってるんだか?
だれが城主かも資料が残ってないとか、不遇の砦跡である。
ところが、、、、謎だらけ!!

これが案内図です.。
君ケ谷城跡案内図

城マニアのブログでも、歴史探勝の案内でも、主郭で終わってる。
だが,。貰ったコピーには「主郭は2つの曲輪に分かれている」と。だから二又山なのだ。
ということでもう1つの主郭を探すべく、ただちに出動。

館山道の竹岡インターの真下の側道を、西へ進むと「カルバート」が3つある。
カルバート、すなわちガード下のこと。第1のカルバートの突き当りが登り口。
第一カルバード
小さいため池だが「大釜戸籍」という。観音堂と墓地あり。
大釜戸籍
そこには房総名物の、軽がようやく通れる素掘りのトンネルが口を開けている。
こんな小さくても35年前までは林業のトラックがギリギリ通過していたのだ!
だが今はクルマで入ってはいけない。通行止めだ。
手前にUターンスペースあり。2,3台なら駐車可能。
素掘りトンネル左登り口
トンネルの向こうには「大正池」、、つまり大崩壊で林道がせき止められた天然ダムあり。
これをどうやって壊すか?砂防ダムにするか?
財政破綻寸前の富津市が悩んで、応急工事中。
50mくらいの長さの暗いトンネルも天井崩壊が進んでおり、ヘルメット必要。
クルマで突っ込むと帰途は保証できない。

なお、現在は工事が進んで、天然ダムの大半は撤去、排水された。
小さな「大正池」は残っているが、グジャグジャ沢を長靴で通り抜けられる。

君ケ城の登り口は、そのトンネル入口のすぐ左(東)壁にある墓地横から登れる。
ヤブを切り開いて、登り口も整備したので登りやすくなった。
狭くて急な岩溝は濡れて滑るので手すりロープあり。

小さな堀切?の中を登り切れば、北側に広い畑地あり。ここが「三の郭」だという。
右手(南側)のドロ壁に応急階段とロープあり。
ここを登れば、あとはひたすら尾根上を南へ、南へと登る。
稜線を外さなければ迷うことはない。点々と平坦部がある。
1の堀切
現れた第1の堀切に急降下、再び登れば南北に広い「二の郭」がある。
それを過ぎれば再び第2の堀切あり。ここからは岩登りっぽいよじ登り。
第2堀切

なお、この堀切を左(東)に横断して50mほどトラバースすると、、、
井戸跡がある!
井戸案内

君ケ谷城跡の井戸

たどり着いた「主郭」は、お椀のような頂上。植林帯なので見晴らしわずか。
DSC05314.jpg

この主郭頂上から北東に植林帯を急降下すれば,林道に達するので
帰りの近道となる。これでオシマイ。

ちょっと待った!!ここで終わられては困るのだ。
二又山だから、もう1つ、主郭があるのでは?それが今回のテーマだからね。
そう、「主郭」の頂上の南西面の崖をヤブ越しにジッと見下ろせば、、、
尾根の続きがあるではないか!

危ないのは3mくらいの崖降下だけ。
勇気を出して固定ロープを握って下れば、しっかりした尾根に降り立つ。
岩尾根
いずれ狭い岩尾根となって次のピークへ登る。
ここがもう1つの主郭 ? いやー、ちょっと狭いな。「物見」?「狼煙場」かな? 
DSC05239.jpg
さらにドンドン登ると、ドンドン狭くなる岩稜!
巨木
最後に堀切りされた古い峠道がX字形に交錯する。その交点上に石祠あり。
石祠

峠古道交錯点
堀切を突破して、もっこりした植林尾根へ登れば広い202m頂上へ
DSC05246.jpg
植林されてはいるが、この広い頂上も主郭ではないか?というのが私の新説です!

西のずっと下には「古道歩き」で紹介されてる大沢集落がある。
西北へ掘り込まれた尾根道をたどれば、立派すぎる「崩壊地第4号」の
看板と基準点がある。
崩壊4号看板

基準点
すぐに「大沢天王山(天皇様)神社」上によじ登れる。
狭い石段を降りれば、名物、腐りかけた鉄パイプの鳥居と防空壕跡。
DSC05335.jpg

DSC05323.jpg
DSC05329.jpg

DSC05339.jpg

さて、帰途は、、、、、Uターンして「崩壊地4号看板」まで戻る。
そして、上のピークには戻らず、その看板脇から東へ、わずかな踏み跡をトラバース。
すぐにさっきに峠道のX字形の交錯点に戻り着く。

ここに地蔵様の頭が欠けた珍しい古い石道標がひっそり立っている!
この道標は、富津市のガイドブックの地図に登録されているが、
地図とは位置が間違ってるような気がする。
首無し地蔵道標
あとは峠古道をひたすら降下。途中で152mピークを巻く。
だが、ピークへ寄り道して登ると、、、
君ケ谷城址の主郭よりはるかに平面で、3倍くらい広いのだ!
段々もある。ということは山頂を人工的に平らにしたのではないか?
こんなに高いのに水溜まりがある!
今はイノシシのヌタ場になっているが。井戸として使えたのでは?

相当数の軍勢がここで陣を張り、山麓へ出撃が可能だ!
ここも君ケ谷城址の一部、第3の主郭だったのではないのか?というのが、
更なる私の新説です!
DSC05319.jpg
あとはジグザグ、ツズラ折りの、岩に深く掘り込まれた古道の急降下。
この急降下では牛馬すら登れないと思う。
これはまさしく、敵を迎え撃つ堀切の役目をしている。

最後は高速道の金網沿いに、ドロンコのヤブ突破。第2カルバート道路へ飛び出す。
高速道の工事で古道の入口が塞がれてしまったのだ。
こんなイノシシのヌタ場だらけの竹藪の奥に、立派な古道が隠れてるなんて、
もう、だれも気がつかないだろうなあ。なんとかしないと。
君ケ谷陣屋入口

なお、別な降下ルーもある。
152mピーク頂上の水溜まりからそのまま北東に進むと荒れた溝道が現れる。
かまわずドンドン下れば、出発点にあった「大釜戸溜池」の脇にある墓地上に
直接、飛び出す。
DSC05508.jpg


つまり私の新説では、、、、
君ケ城は、三の郭、二の郭、一の郭だけで終わっているのではない!
2つの尾根に点在する、さらに2つのピークをも主郭?とする、広大な
「トライアングル・ネットワーク」なのだ!
これぞ、ここが地元で要害(ヨーゲエ)地帯と言われる所以だ。
3つのピークをつなぐのは狭い岩稜と深い掘り込み古道、難攻不落である!

新発見となるか?
城址専門家のご意見はいかに?

終わり。









プロフィール

ゴンベ

Author:ゴンベ
房総の沢、滝探検、ヤブ山探検、地形調査、デインギー(ヨット)などを書いていこうと思っています。
分かりやすいように書いていくつもりですが、もし分かりにくいことがあればコメントをいただければ可能な限り答えます。
読んでいただければ幸いです。

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