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大昔の日産の軽?のおはなし

「古き良き昭和」なんて幻想だね。
公衆浴場へ行けば、戦争で負傷して手足が欠けた大人が普通に体を洗ってた。
電車に乗れば、白衣の傷痍軍人達がアコーデオンの悲しいメロデイーと共に
やってきて募金を募ってた。

今みたいに太った人なんて全く見かけなかった。
歯磨きなんてしたことない子供でも、虫歯なんかなかった。
皆んな、いつも腹空かしてたもんね。
オレがキャンデー初めて食べたのは、小学2年の遠足のとき、
坊ちゃん同級生がくれた1ケだった。
遠足?文字通り、全部歩いて数キロ先の洗足池まで行ったのだ。

「田町」の工業高校の屋上から、東京タワーの4本のオレンジの脚が
日々、上空へ伸びていくのが見られた昭和35年代ころから、まともな生活になった。

最近読んだ本に「高齢ドライバーのアクセル踏み間違い防止のために、
アクセルとブレーキペダルを入れ替えたらどうだ?」という暴論が出てた。
この著者は免許取ったことないそうだが!

実は、工業高校には戦前のダットサン・セダンがあった。
ところがこのクルマは、まさしくブレーキペダルの内側にアクセルがあったのだ!
これを引っ張り出して無免許で構内を運転したけどコワカッた。
ブレーキ踏んだつもりが、加速する!!
その恐怖たるや体験したものしか理解できないだろう。
結局、誰かが横転させて、貴重な戦前型ダットサンはポンコツになったけど。
一度覚えたペダル操作は、反射神経にメモりーされてるから、絶対に直せないのだ。

今でこそバイクの後輪用ブレーキペダルは右足に統一されてる。
ところが、、、、、大昔はメーカーによって左右マチマチだったのだ!
そんなバカな!と思うだろうけど事実である。
意外なことに、これにはすぐに慣れてしまった。
人間って、一体どうなってるんだろう?

話を戻して、、、、

我々の「昭和の日産自動車」の時代は、貧困と公害にまみれて3K職場で働くだけ。
8時始業で4時終わり!週六日制、土曜も8時間働いた。
新聞のニュースは、競輪、競馬に狂った亭主を殺した妻とか、、、、、
工場も設計も、油にまみれた国防色(カーキ色)の作業衣と黒い戦闘帽(兵隊帽)
が作業衣だ。ダサイなんてもんじゃなかった。

そういう職工の楽しみは給料日の、夜の「生麦」のヤバいストリップ劇場!
あくる日、「昨日はサツの手入れで3人、つかまったゾ」なんてささやかれてた。
かと思えば、職場で借金に回ってたヤツが知らぬ間に退職、、そう、寸借詐欺だ!

でも昭和40年あたりまでは大企業、日産の職場にも、家族的とか、
そういう大らかさが残っていた。
それもいずれ高度成長に突入すると「過労ブラック企業」に突入。
多忙な先輩がほったらかした新人が、ノイローゼになって田舎に帰ったり。

今でこそ、日産のクルマ以外は入門禁止だけど、昔はそんなケチなことはなかった。
ホンダS800で通勤してたお坊ちゃまエリートもいた!

元華族の道楽息子は、シトロエン11CVとか、ビユックとか、とんでもない
クラッシックカーまで持ちこんできて、昼休みに外の道路で試乗させてくれた。
これはベトナムに残ってたシトロエン11CVのタクシー!!
img310.jpg

11CVって「トラクシオン・アバン」のことだ。
あのジャン・ギャバンのギャング映画に出てくるヤツだ。
フロアがやたら低い素晴らしいクルマだった。
欠点は、FFドライブシャフトのユニバーサルジョイントの耐久性が無かったことらしい。

ポンコツ・ビユイックに10人乗って、横浜プリンスホテルのビアガーデンに乗り込んだ!
ドアボーイがあきれてた。

ルノー4CV
ルノー4CVで飲みに行った帰途、第一京浜国道の真ん中でエンコ。
お巡りさんが一緒に押してくれた。酔っ払い運転だったのに!

ルノー4CVといえば、、、、
日野がノックダウン生産して、主としてタクシー向けに販売してた。
室内は現在の軽並みに狭い!なのに何でタクシーなのか?
しかも日野製ルノーは、前後のバンパーに水平パネルを追加して全長を増してあった!
「100km以上出るクルマは、全長何メーター以上」という法規があったらしい?
バカバカしい!

カミカゼ・タクシーとしてガンガンでこぼこ道を飛ばすものだから、どのルノーも
前輪のキャンバーが「ハの字」になってた!
ドリフトマシーンのネガテイブキャンバーだ。これでも車検が通った?不思議なことばかりだ。
インテリア・デザインはシンプルながら、ホワイトだかベージュだかで統一された
ハンドル、メーター盤。フランスの香り高き、美しいものだった。このセンスの良さ、、、、、
今のデザイナーにツメのアカでも煎じて飲ませたい!!

私も三菱コルト800、スバルのポンコツで通勤してたことは前、言ったよね?
さすがにいずれ、門の外に停めるようにお達しが出たけどね。

そんな時、悪友(親友)が「軽の試作車が来た!」という。
ナニ?日産が軽自動車を!早速出動だ。
人気のない建屋の中に2人で侵入、
シートで囲まれていた狭い区画にコッソリ潜り込むと、、
薄暗い中に、クリーム色のチビ車があった!
たしか2気筒、空冷リアエンジンだったと思う。
しっかりカバーされてえ、まくったけど後ろしか見れなかった。
とにかくボデイがヤワだった。
試作番号はA260Xだったかな?当時の軽は360cc、

A260Xには諸説あり。600cc水平対向2気筒だったとも?
もしそうであれば、例の通産省「国民車構想」対応だったのかも?

その後、A260Xは実験部隊で走行テストされたけど、
案の定、やたらボデイが壊れて開発中止になった。
何しろ当時のテストは悪路コースを昼夜、カミカゼ・タクシーモードで
ひたすら突っ走る。「カミカゼ・タクシー」知ってるかな?
この、ひ弱なクリーム色のボデイでは到底、ムリだったのだ。

当時の軽はどこも同じようなレベルだった。
とにかく壊れる、悪路を走るとボンネットフードが開く!床が錆びて穴が開く!
パワーが全くない、ウルサイ、雨は漏る、隙間風が入る、バッテリーがすぐ上がる
、、、面倒ばかりかかる。

そこに突然、ホンダの軽自動車:N360が現れた!
ホンダN360

高性能4サイクルのオートバイエンジンを前面にむき出しに載せたFFモデルである。
昔のミニ(モーリス・ミニマイナー、オースチン・ミニ)のソックリさんだ。
というか、「ミニと同じパッケージの軽を作れ」と本田宗一郎が命じたとか。

音はひどくうるさい。そりゃ空冷オートバイエンジンが前面にあるんだからね。
だが、そのパワーたるや異次元の世界!1000cc並みのスゴイ走りだ!
最高速は100km/hを楽に超えてしまった!

アッという間に、他社の軽はことごとく駆逐された。
4サイクルでこれだけのパワーのエンジンを出せるメーカーはいなかった。
なので他社は、2サイクルエンジンに切り替えて対抗するしかなかった。

後年、私がリストラされてお世話になった名古屋の日産系列メーカーでも
当時、軽を作っていたが、N360に対抗する高性能エンジンが作れず、
それが企業の命運をゆるがし、結果、日産系列に吸収されたのだ。

ところがその後、N360は、例の「ユーザーユニオン」欠陥訴訟に巻き込まれ、
長期の判沙汰になった!
「ユーザーユニオン」というのは、アメリカのクルマのリコール制度を制定させる
原動力となった当時の「ラルフ・ネーダー」集団欠陥訴訟を真似た日本版である。

実は、ユーザーユニオンの首謀者というのは、、、、、
日産の本社サービス部門に所属していて、販売店から上がってくるクルマの
市場不具合情報を把握する立場にいた人物だったのだ!

彼は、毎月、私がいた設計部門にもフラッと用もなくやってきた。
あとから思えば、目的を伏せて日産車の設計欠陥情報を収集してたのかも?
そしてある日突然、社内情報を持って退職し、「ユーザーユニオン」を立ち上げた。
ホンダは元日産社員の被害者となったのだ!事実は小説より奇なり。

N360は、ユーザーユニオン事件後、モデルチェンジされて「ホンダ・ライフ」になった。
水冷化されたホンダライフは、現代の軽と大差ない性能レベルに向上していた。
これにも他社の軽は太刀打ち出来なかった。

かきかけです。


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プロフィール

ゴンベ

Author:ゴンベ
房総の沢、滝探検、ヤブ山探検、地形調査、デインギー(ヨット)などを書いていこうと思っています。
分かりやすいように書いていくつもりですが、もし分かりにくいことがあればコメントをいただければ可能な限り答えます。
読んでいただければ幸いです。

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