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ナマショク(生食)の話

東西ドイツ統合(1990年)の頃の話だから、もう30年以上前になったけど。
仕事がらみで、毎年のように入れ替わり立ち代わり来日する西ドイツの試験機関の
連中と仲良くなった。といってもドイツ語は全くダメ、
当方は中学生英語!のブロークン・イングリッシュ。向こうはドイツ語なまりの英語?
という珍妙なお付き合い。勿論、通訳として社内の帰国子女が付いていたが、
不思議なことに英語が分からない小生のほうが便利がられた。

毎回、彼らは昼食時にいろんな話題を持ってくる。
「統一したけど旧東ドイツの連中は寄生虫だ!」「ビンボー人ばかりだ」
「難民、移民をガンガン受け入れる今のドイツ政府はなっとらん!」
「治安がドンドン悪くなってる」「日本も外国人労働者を受け入れてるけど、今に泣くぞ」
おみやげに「東西ドイツの壁」を破壊したコンクリ破片をくれた。
「放射能物質が入ってるかもよ」と。そんなもの要るか!

「日本は、なんで踏切で一時停車するのか?危ない!」
ドイツでは踏切が開いてれば絶対に止まってはならない。止まったら追突される。
「ガソリンスタンドでは自分で入れないのか?ドイツはセルフばかりだ!」
当時の日本にはセルフは皆無だった。
ホームレスを説明できなくて苦し紛れに「ルンペンだ」と言ったら大当たり!
ルンペンはドイツ語だったのだ。

ある時の話題は、、、、
「日本文化の刺身は食中毒が問題だ」と。  ナニソレ?
欧米では日本食、寿司の大ブームが起きてた時代だった。
ところがドイツでは今、「魚を生で食うと大変なのだ」というニュースで持ち切りだそうだ。

あー、アニサキスね。サバ寿司でも食わない限り大丈夫ですよ.

「そうじゃない!どんな魚でもナマは危ないのだ!」  
そんなわけない。日本人は昔から新鮮な魚は刺身で食ってきた.

自分で釣った魚ならたいてい刺身で食ってたが何ともなかったぞ。
だったらオランダのニシンの生食はどうなんだ?
「あれは長く酢に漬けてあるからOKだ」
ウソつけ!酢でアニサキスは死なない、と大論争に。

この頃から身近にアニサキスにやられた話が増え始めた気がする。
といっても当人は「怪しい飲食店に出入りしてたんだ」と思われるので話したがらない。
そうこうしてるうちにスーパーに並んだサンマにまで、「これは解凍品です」とか、
「これは冷凍してないのでアニサキスが居る可能性があります」と表示される時代になった。
段々。分からなくなってきた。そこで図書館で本を見付けた。

     生食(なましょく)のはなし、リスクを知っておいしく食べる」  朝倉書店

DSC00203 - コピー

結論から先に言うと、、、「何でこういうことは学校では教えないのか!」
内容は中学生、いや小学生高学年なら十分理解できる。
ユッケを食って集団食中毒が起きるということは、学校で生食の怖さを教わって
なかったためだ。

食中毒の発生統計は、規制の変化に伴って年を追うごとに変化する。
その食材の流通量や産地が大きく変われば食中毒も増える。
だからこれまで問題ないナマ食材が、ある時突然、大問題になる。
サバのアニサキスは太平洋には多いが日本海には少ない。
同様に、食材の処理技術にも地方性がある。
つまりナマ食材は、潜在的に見れば日本中、全て危険なのだ!

まあ、敗戦直後の時代だったら仕方がないが。
何にしろあの頃は赤痢も、疫痢も、腸チフスも、何でもありだったからね。
人類は火を使うことで、食中毒からの死亡率が劇的に下がった。
その結果、他の動物よりはるかに繁栄してきた。
生食は進化に対する退歩である。

この本は読めば読むほど食中毒の奥が深いことがよく分かる。
だが専門的、網羅的なのでメンドクサイ。
なので私の体験談と、プラス独断と偏見で知りたいことだけ都合よく羅列してみよう。

1.牛肉(腸管出血性大腸菌、カンピロパクター、E型肝炎)

牛は草食なので、豚ほど危険ではない。だからといって生食はあり得ない。
ビフテキはレアでも大丈夫、なぜか?
筋肉の内部には細菌は居ない。だから外側だけに付着してる細菌を加熱することで殺せばいい。
細菌がいるのは内臓だ。食肉処理の段階で。それが筋肉の表面に付着するのは完全に防げない。

「ユッケ」とかいう牛のレバーの生食中毒が大発生!そんなものをナマで食うのか?
心臓の刺身?牛刺し、牛タタキ、牛タルタルステーキ、、、いい加減にしろと言いたい。

ただし、挽肉はアブナイ。表面に付着した細菌がゴチャゴチャ内部に混ぜ込まれてる。
なのでハンバーグの場合の「レア焼き」は絶対ダメ!芯までしっかり火を通すこと。
挽肉を買ったら、そのまま冷蔵、冷凍ではアウトだ。
直ちに「ソボロ」になるまで炒めてから冷凍保管すべし。
レバー(E型肝炎)は確実に内部まで火を通すこと。
80度、3分以上が最低限必要。

2.豚肉(E型肝炎ウイルス、サルモネラ菌、リステリア、カンピロパクター、エルニシア、
         有鉤条虫、トキソプラズマ、旋毛虫)

草食の牛と違って、豚は「雑食」だから生食したら大変なことになる!
豚肉、豚レバーの生食の習慣はない。だから衛生基準も無い。
いや、牛レバーのユッケ禁止の一時期、代用として豚レバーや豚刺みを食ったバカがいて、
大事件にはなったが。
豚肉の半焼け、レアーは極めて危険だ。絶対に芯まで完全に火を通すこと。
まあ、豚肉の生焼けは生臭くて食べれないけど。

3.馬肉

馬刺し?一度食べさせられたけど、さすがに気味悪かった。
馬刺しは日本にしかない文化?加藤清正が朝鮮出兵時に軍馬を食べたとか?
だから不思議なことに馬刺しは衛生基準があり、法的に認められてきた。
食中毒も少なかった。草食動物だったからかも知れない。
だが、ある時突然、大発生!輸入馬肉のせいらしい。
そもそも馬を食う文化は世界的にも少ないのだ。


4.ジビエ(鹿、猪)、、、(ばい菌、ウイルス、寄生虫だらけ)

ジビエ(駆除された有害獣の料理)ブームも来た。
だが、当然、生食はあり得ない。芯まで十分加熱が絶対条件!
レアのビフテキなど危険一杯だ。
熊の胆とかは昔から度々事件が起きてる。

屠殺も、やっと小規模でちゃんとした工場設備と認証制度が出来始めてるが、
現場での獣医師による病気の有無の確認とかが義務付けられていない。

山の中で捕獲した獲物を下してくること自体が大変なのだ。
死んでから時間が経つと、臭みが抜けない。
野生動物は臭い!ダニ、ヤマビルが一杯付いてる!
それらが宿主が死ぬとゾロゾロ落ちてくる!

猟師が、殺した猪を沢の中で捌いてるのを目撃したことあり!内臓は全部、沢に流れてた。
そのあと。トンビ、カラスの大群が空を舞ってた。
沢登りしてると沢山、骸骨に出会うのはこのせいだ。

5.鶏肉(サルモネラ、カンピロパクター)

鳥刺しは自殺行為だ,「鳥刺し用の鶏肉」なんて、法律的には存在しない。
と思ったら、南九州では普通に食べられてて、食中毒も少ない?
歴史的にそれなりの安全対策、、、解体時の内臓と肉の仕分けとか、
表面だけ焦がすとか、工夫されてきた。フグと同じだ。

だが、販売されてる鶏肉の表面には確実に、しかも大量に細菌が存在する!
包丁も、まな板も、手も、細菌だらけ!
ゴム手袋、サランラップに乗せてカットするとか、とにかく手で触れないこと。
調理後にそれらをしっかり洗浄、しかし洗ったシブキが周囲に細菌を飛散させる!
切り分けられた肉を買うことが一番安全。手を触れずに調理すること。

加熱不十分だと簡単に食中毒になる。
ただし、ジューシーな「唐揚げ」は大丈夫。細菌は筋肉の外側にしか付かないからだ。
鶏肉は加熱しすぎるとパサパサになって旨くないからね。

6.乳製品(サルモネラ菌、カンピロパクター、腸管出血性大腸菌、リステリア、
                       黄色ブドウ球菌、セレウス菌)

牛乳は製造工程で殺菌されてるので、殺菌工程での事故でしか食中毒は発生しない。
だから殺菌しないで作ったナチュラルチーズは当然、危ない。
牛乳は、冷蔵しても保存期限は守ること。

最近はやりのヤギ乳を、その場で飲むなんて絶対やめるべし。
かの、ナイチンゲールは、そのせいで後世は寝たきり生活になった!

7.卵(サルモネラ菌)

欧米では生卵は食べない!「卵かけご飯」にはビックリするはず。
卵とじトンカツ丼すら、長く放置してると危ない?!

日本人は卵の衛生管理なんて気にしてなかった。
昔から自宅で飼ってた鶏の卵(フンが付いてた!)をナマで食べてきた。
さすがに「殻の表面をゴシゴシ洗うと気孔から黴菌が入る」とは言われていたが。

今のところ日本では出荷前の衛生管理が行き届いているので安全だが、絶対ではない!
10度以下で保管し、殻を割ったらすぐ調理すること。
サルモネラが増殖する時間を与えないこと。自家用マヨネーズ作りは危ない。

8.海水魚(アニサキス、腸管ビブリオ菌)

アニサキスは餌のオキアミに寄生、それが魚に食われて生命循環している。
だからどんな海水魚にもいる!目視で取り除く?そんなことでは不完全。
とはいえ、海辺の観光地へ行けば、取れたて地魚の刺身、タタキを普通に食べれる。
つまり取って、すぐ内臓を取り出せば、「めったに」アニサキスには遭遇しない。
だが絶対に居ないわけではない!

ー20度、ー35度、何時間、何日間とか、本格冷凍でないと死なない。
なので家庭の冷凍庫ではダメらしい。
酢、ショウガ、ワサビ、ニンニクでも死なない。
かっては、サバ、青魚食って蕁麻疹、ジンマシンになったことがあったが
これはアニサキスのアレルギー症状だった!

アニサキスは本格冷凍されたマグロの刺身には全く関係ない。
だが自分で釣ったアジですらアブナイのだ。

9.淡水魚(寄生虫)

父子でアユ釣りして、刺身にして食べた幼い娘が食中毒になったニュースが!
淡水魚の刺身はヤバイとは思っていたが、ならば鯉やナマズの「洗い」はどうなんだ?
「シラウオの踊り食い」なんてとてもヤバそう。
鯉の「洗い」は、よく洗うから大丈夫なのか?
サーモンの刺身は養殖での衛生管理に頼ってるだけなのだ。

10.貝(貝毒、細菌、ウイルス)

貝の生食といえば「カキ」しかない。今は生産段階で管理されてるので安全。
だが貝は加熱しても有害な「貝毒」が発生する厄介者である。
伊勢湾の海岸での潮干狩りは「アサリの貝毒発生警報」で毎年、禁止になるのだ。

11.生野菜(大腸菌ほか)

かってはカイワレ大根中毒事件があった。
祭りの露店での「冷やしキュウリ」事件もあった。
健康志向で野菜サラダも全盛であるが、小生は大嫌いだ、コワイ。

欧米ではキュウリ、トマトで食中毒の大事件が度々発生している。
ドイツは、フランス、スペイン、イタリアからの生鮮野菜に頼ってる。
隣国の衛生管理にも文句をいわなければならない。
ひとたび食中毒が起これば国際問題、賠償問題に発展する。
日本で発生してないのは生産、流通、輸入での衛生管理のおかげでしかない。

生食と言えるかどうかだが、野菜の発酵食品(キムチ、浅漬け、キュウリの塩もみ、
白菜の一夜漬け、なれ寿司など)はもっと複雑で食中毒と紙一重だ。

私は敗戦直後に進駐軍からの指示で、小学校では「ヒマシ油」を強制的に飲まされて
「回虫退治」させられた年代である。
あれは強烈な下剤で、一気に回虫を排泄させるだけの代物である。殺虫薬ではない。
日本では、はるか昔から肥料として人糞が当然のように撒かれてきた。
回虫が体内と畑を循環するのは当然である。今でも中国、東南アジアでは普通だ。
そんな輸入野菜を今、ナマで食べるご時世である。覚悟すべし!

12.ハチミツ(ポリツヌス菌)

よく知られたことだが、乳児にはハチミツ厳禁!
なぜか、乳児の腸管でポリツヌス菌は大増殖するのだそうだ。

13.湧き水ブーム

名水と呼ばれた所は、ちゃんと水質検査をしている、、とも言えない。
ポリタンクで大量に汲みに来る人がいるが、湧き水には塩素が入ってないので
1週間もすれば細菌が増殖する!水道水とは違うことを知らない人が多い。
ナマで飲むのはアブナイ!

登山の途中で沢水を飲むのは自殺行為だ。全く濾過されていないし、
上流に山小屋でもあればトイレは沢に垂れ流しだああ!
北海道なら「エキノコックス」に汚染されてると思うべし。

沢水で顔を洗ったら「鼻腔の中に寄生虫が住み着いた」なんて事故はアメリカでは普通にある!

水に塩素を入れれば滅菌出来ることを発見したのは偉人、ゴッホだ。
だがその論文はだれも着目せず、50年が経過。
シカゴの市街は湿地帯に松の杭を建ててその上に都市を作った!ベニスと同じだ。
なので毎年、夏には赤痢、疫痢の大流行が、、、
困り果てた水道局の技術者がゴッホの論文を発見。
こっそり水道に塩素を適量投入。その年には赤痢も疫痢もほとんど発生しなかった!
だが本人は御用となって裁判沙汰になった。

世界周航するヨットは、港ごとに清水タンクに給水しなければならない。
それが塩素入りの水道水なら1ケ月は安全だ。
だが絶海の島だったら塩素は入ってない!煮沸しなければ大変だ。

ヨットは波で揺れる。清水タンクの中も揺れる。攪拌されるので多少は長持ちする。
港に長時間停泊してるときは、清水タンクの中の水はアブナイということ。

書きかけです。


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ペリリュー島、沖縄戦記を読んだ

移住した小生の余生は病院と図書館通い。フト「手記」という分類棚が目についた。
そこで発見したのがタイトルにある地味な文庫本だった。
なお、小生はミリタリー・オタクではない。 そのことはあとで述べますが。
 
       「ペリリュー島、沖縄戦記」   ユージン・B・スレッジ著

戦記というよりも、ニックネーム「スレッジハンマー」自身の戦場日記による体験記。
若くして海兵隊に憧れて志願、過酷な訓練の後に戦場に送り出された。
戦後は大学教授にまでなったインテリだ。一気に読んだ。

戦略的にたいして重要でなかった小さなペリリュー島。
日本軍の飛行場があったので、ここを使えなくしようとしたのか?
だが肝心の日本の軍用機はもう来れない戦況だった。

上陸前に絨毯爆撃、艦砲射撃をメッタヤタラにやった。
だが米軍はまだバンカーバスター(地下貫通弾)は持ってなかった。
なので洞窟、地下壕にはほとんど効果なし。日本軍の火器は温存されていた。
結局、山岳戦に持ち込まれた。
谷間は洞窟、それらをつなぐ地下壕。トーチカだらけ、
大砲は洞窟から発射されるが、発射のあとは厚い鉄扉が閉じられる。
海兵隊は、全滅した日本軍とほぼ同じ1万人規模の戦死者、傷病者を出す。
アメリカにとっては衝撃的な失敗だった。

恐ろしい、凄惨な内容だ!映画にも動画にも出せないような場面がリアルに連なってる。
米軍、日本軍双方の砲撃と銃撃の挟間にあってクギ付けになって動けず。
砲弾でバラバラになった日本兵、アメリカ兵の腐乱した死体、手足、内臓、、、
巨大なウジだらけの体がゴロゴロしてる。
隠れるためにドロンコの水溜まり(砲撃の穴}の中を掘ったら、そこからも日本兵の
ウジだらけの死体が出てきた。数日、ときには10日以上も死体と同居してた。

第一次世界大戦の悲惨な塹壕戦と同じような戦場が太平洋戦争でもあったのだ。
そして今、ウクライナでも同じ事が現実に起きている、、、、愚かな人間

海戦、航空戦なら何十分、何時間で勝敗が決する。戦争ゲームみたいなもんだ。
だが地上戦、白兵戦、肉弾戦は何か月の単位で昼夜を分かたない持久戦、
目の前で次々に倒れる戦友を見て、募る日本軍兵士への激しい憎しみ、恐怖。
しかも日本軍の得意戦法「夜襲」への警戒で、眠られないら夜が続く。エンドレス、、、
その結果、「戦争神経症」つまり発狂して戦列を去るものも少なくない。

陸軍マッカーサーのレイテ島上陸作戦に対抗意識を燃やした海軍トップが
ペペリュー島の日本軍の地下壕要塞を甘く見たための失敗。
「3日で終わる」と豪語したが実際は2ケ月半もかかった。
しかも失敗を認めようとしないで応援も断った。
インパール作戦で失敗した牟田口参謀と同じことをやったのだ。

なのにアメリカ海軍は、そのあとの硫黄島でも地下要塞にてこずった。
さらに米軍の一方的勝利の印象が強い沖縄戦でも、首里城の地下壕要塞攻撃で
米軍は日本軍の死傷者の20%に相当する損失を出した。

ベリリューと沖縄の2つの作戦を転戦した彼の二百数十人の海兵隊仲間のうち、
生き残った古参兵はわずかに20数人。
わずかな訓練だけで本国から送り出されてきた若い補充兵の多くは、
不慣れな行動のせいで、たちまち倒れていった。
スレッジハンマー自身も、訓練当時は筋骨隆々の海兵隊員だったのに、
終盤では痩せ衰えた。米軍の体力も限界に近かったのだ。
民主国家のアメリカでは留守家族、議会から危惧の声が高まった。

そもそも日本は、広大な島嶼防衛は維持すら不可能だったのでは?
そして、南洋でいくつも起きた「島嶼戦」はアメリカにとって必要だったのか?

硫黄島ですら、占領目的としたB-29の緊急着陸というケースはたいしてなかった。
後続距離の短い戦闘機による本土への攻撃に硫黄島が使われただけだ。

既に日本軍のシーレーン(海上補給)は寸断され、制空権も米軍にあった。
島嶼の日本軍を放置しておいても攻撃される心配はなかったのでは?
事実、陸軍のマッカーサーは、日本軍が占領している島嶼のいくつかを無視した
「カエル飛び作戦」をやってフイリッピンのレイテ島上陸作戦を果たした。

もしも、戦友を殺された彼ら海兵隊が、そのまま日本を占領した連合軍の主力となっていたら、、、、
満州でソ連がやったのと同じことが、米軍によって起きていてたかも知れない。
だが幸いなことに、戦闘で疲弊した殺気立った海兵隊は、もはやその余力を失い、本国に引上げた。
日本占領連合軍の主体は、戦闘経験のない補充兵や、欧州戦線からの軍隊だったのだ。

アメリカの在郷軍人会も既に高齢化した。
「原爆を落とさずに本土決戦になれば米軍に50万人とも予測される戦死者が出たはずだ」
という主張は、島嶼戦での膨大な失敗に裏付けられたものだったのだ。
原爆投下への正当性の主張は消えてはいない。
日本への憎悪はパールハーバーの奇襲だけではなかったのだ。
地上戦の日華事変でも同じことが起きた。中国の日本への憎しみは消えていないのだ。

ついでにもう1冊読んだ。
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     「日本軍と日本兵、米軍報告書は語る」  一ノ瀬俊也著 講談社現代新書

多数の日本人捕虜を尋問した結果から、、、、
「日本兵は捕虜にならずに死を選ぶ」という通説は、東条英機の戦陣訓の
「生きて俘虜の辱めを受けるなかれ」を守ったからではなかった。

多くの日本兵は農民であり、村社会から送り出されて来た。
出征兵士の留守家庭は手不足で農業を継続できなくなる。
それは村全体として支援するという前提条件で出征した。
だから「自分が捕虜になったことが分かると、支援を打ち切られ、家族が生きていけない」
「自分が帰還しても村八分になる」という心配が強かったからだという。
一方で「見知らぬ土地へ帰還すれば、生きていける」とも考えていたと。

多くの兵士は「天皇のためにバンザイ突撃、玉砕をする」気などなかった。
軍隊内の命令、暴力制裁に縛られていただけだった。

都会出の兵士は、村社会の束縛もない。戦前にはアメリカ文化、洋画、洋楽のファンでもあった。
英語が分かる者も多い。なので「鬼畜米英」など信じてなかった。
高等教育を受けたインテリの多くは、戦争の早期段階で「アメリカに勝てるはずはない」
と思っていたと。

最前線で自分だけ降伏すること自体、非常に危険が伴った。
味方に後ろから撃たれるかも知れない。
それに中国で自分達がやった捕虜殺害の逆を恐れた。
多くの捕虜は戦場に取り残された傷病兵だった。

「アメリカ海兵隊員は捕虜を取らない」という通説はウソだった。
降伏してくる日本兵を信用して、逆にワナに掛かった例もあった。

アメリカ軍の参謀官僚としては出来る限り死傷者を減らさなければならない。
そこで出来る限り捕虜を保護し、待遇を改善し、情報を得るだけでなく、
日本語で投降を呼びかけさせるような協力者に仕立て上げた。

日本軍捕虜の多くは非常に協力的だった。
その背景は日本人の「借りたものは返す」「恩義に報いる」という信条だった。
命を救われたお返しとして積極的に協力したのだ!
捕虜をもとの陣地に送り返して、仲間を投降者として連れ帰るという試みまでやった。
意外なことに、この作戦はほぼ100%成功した!

参考までに、、、
私は、東京空襲の生き残りです。
昭和16年(1941年)生まれだから終戦の年には5歳弱。
だが不思議なことに戦争体験は鮮明に覚えている。

父親は、30才にして生まれた3ケ月の私を後に満州へ出征。
理由は軍需品の商社の支店長だったので「志願扱い」で行かされたのだ。

留守母子は、京急の「大森海岸」の近くの母の実家「海苔の網元」に居候した。
毎晩、電灯に黒い風呂敷を掛けた。「灯火管制」である。
空襲前日の晴天はるか上に、二筋の飛行機雲がきれいに見えた。B-29の偵察飛行だった。
その晩の空襲警報の「サイレン」  今でも甲子園野球で鳴るとドキッとする。止めてもらいたい。

「カビ臭い防空壕」に入った。あくる日、外に出たら、一面の焼野原、地面が熱かった。
羽田飛行場の向こうの海までズット見えた。
庭のほうぼうに六角形の焼夷弾(ナパーム)の抜け殻が積み上げられていた。
クズ屋に売ればカネになると。

焼失した実家をあとに真夏の炎天下、第一京浜国道(今のイチコク)を
京浜急行の「青物横丁」にあった、父親の勤務先を頼って母子3人で歩いた。
途中で歩けなくなった私だけ、後から来た「おじいさんの牛車」の後ろに乗せて貰った。
(母は馬の荷車だったというが)
だが居候させてもらった店舗も1週間後の空襲で焼けた。「疫病神だ!」と追い出された。

次に実家が住み移った「馬込」の東電のショールームだった店舗に移った。
家の中で消防団が焚火で暖を取ってたので、天井まで煤で真っ黒だった。
夜は「ホー、ホー」とフクロウの声が聞こえた。私はここで成人まで生活したが。

そこでも夜間に空襲警報が鳴って、「第二京浜」(今のニコク)に母子三人で逃げた。
「品鶴線」(今の新幹線)の土手の至るところが焼夷弾で燃えてるのを眺めてた。
国道を「三輪の消防車」が、力なくチンチンとン鳴らして通り過ぎた。
おぶわれた私の背中の「ドテラ」にも焼夷弾の油の雫が燃え移っているのを
2才上の姉が発見し、消し止めたので事なきを得た。

敗戦後、焼け跡の至る所にコスモスだけが元気に花を咲かせていた。
水道管の蛇口だけがポッツリ立っていて、水飲みには困らなかった。

飢餓が東京では大変だった。食べるものが何もない。
カタツムリを焚火に放り込んで食べた。コクがあって旨かった。
畑の中に野菜の「洗い場」があって、食用ガエル(ウシガエル)とアメリカザリガニが取れた。
ザリガニはフライパンで焼いたら、エビのように(知らなかったけど)旨かった。
だが母が「ジストマがいるからダメ」と禁止。
カエルも「かわいそう」と逃がされて食えなかった。

父親は敗戦後、シベリアの収容所で昭和24年まで生きていた。
ハガキが1枚来たが、そのときはもう現地で死んでいた。
母は戦争未亡人として、再婚するまで地域から差別された。

終わり








プロフィール

ゴンベ

Author:ゴンベ
房総の沢、滝探検、ヤブ山探検、地形調査、デインギー(ヨット)などを書いていこうと思っています。
分かりやすいように書いていくつもりですが、もし分かりにくいことがあればコメントをいただければ可能な限り答えます。
読んでいただければ幸いです。

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