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三郷スカイライン

本題に入る前に、、、、
ついこの間まで住んでた千葉房総半島の自慢話です。
クリックして全体を見てください!

千葉県大多喜町の「大戸の洗い越し」です。
沢床の水面下に道路を作ってある。だから水は常に道路を乗り越えて流れてる。
クルマは水面下の道路を踏み外さないようにジャbyジャブと通過する。
もちろん、増水時は渡れない。流されたらアウト!
アフリカ、オーストラリアにも似たのがあるが日本では珍しいんです。

向こう岸には耕作地しかない、人家が無い。なので橋を作るのがもったいないというわけ。
千葉房総の川は、川床が堆積岩なので軟らかい。
だから山間部では侵食されて深い「ゴルジュ」になってる。
道路を切り通して、沢へ下ってから渡るのです。向こう岸も切り通しを登ります。
最初、渡るのにはけっこう度胸がいります。
DSC07015.jpg
さて本題に入りましょう。
img515.jpg
これは上が北です
「日本アルプス総図」という大縮尺の地図を、ヒマに任せて虫眼鏡で調べていたら、、、
「三郷スカイライン」を発見。何だろう?
やたらヘアピンカーブが連続している。林道らしい。とても車道には見えないのだが、
登り切った終点に「展望台」が!しかも「ここまで車が入る」とある。

これは行かねば!と出動。だがまだ3月初め、当然除雪されてないはず。
三郷地区の入口には「サラダ街道」の看板あり。ナニコレ?
高原野菜の産地なのか?
とにかく安曇野にはカタカナ道路が多い。
「オリンピック・ロード」「アート・ロード」「スケッチ・ロード」などなど。

サラダ街道を曲がって人家の間をまっすぐ山麓へ登っていくと林道ゲートに突き当たる。
路肩駐車させてもらって、長靴、チェンスパイク、両ストックで、ゲートのパイプの
横から林道に入る。すぐにヘアピン、ツズラ折れの連続。どんどん高度を上げる。
積雪は日の当たるところは溶けて舗装路面が出て凍ってる。
ワダチもある。4駆の軽トラなら何とか登れるかも。

だが地区の森林だという植林の真っただ中、全く眺望無し。
今にも冬眠から覚めた熊が出そう。
出た! いや、地元の人でした。「気を付けて。自己責任でね」と。
三郷スカイライン

高度が上がるにつれてどんどん雪が深くなって、水平になったところでとうとう立往生。
このあたりから南向きのため雪がさらに腐ってる。
こりゃ、カンジキかスノーシューでもないとムリ。
雪が溶けたらまた来ようということで撤退決定。

そして、図書館で偶然見つけた本によると、、、、

「釜トンネル、上高地の昭和史」 菊池俊朗著
  ここに三郷スカイラインがなぜ作られたか?が書かれていたのだ!

壮大な話だが、上高地と言えば、、、、
1.ウエストンが通った「島々谷から徳本峠」のクラッシックコース。
2.そして言わずと知れた「沢渡から釜トンネル」  

だが、
1・徳本峠ルートの林道は、度々崩壊して廃道寸前、延々9時間。
  今は徒歩でも崩壊壁の突破があるのでゲート閉鎖のまま。
  最後は急登りの登山道。山岳部のトレーニングには使用されてるが
  もちろんクルマは登れない。

2.釜トンネルルートも、歴史的には崩壊、雪崩事故を起こしてきた。
  暴れん坊の焼岳が、またいつ噴火するか?その時、上高地は孤立する。

他にも入山するルートがあった方がいいのではないか?
となればと、、、、、
1.、昭和30年代に、、、小倉(三郷地区)の有力者連が自費で
  「三郷スカイライン」を作った!
  尾根伝いに「大滝山」経由、徳沢へ降りる車道建設だ。
  だがこれも認可されずに鍋冠山直下で工事ストップ。
  土、日曜限定で展望台までバスが運行された!?よく登れたもんだ。
  今は「冷沢登山口」として残された。、、、ということらしい。

2.昭和40年代、常念岳、蝶ケ岳の「三股登山口」から、蝶ケ岳の山腹を
  トンネルで貫く案まで!これも認可されなかった。

3.昭和40年代半ば、飛騨側からは「新穂高ロープウエイ」が完成!
  しかも西穂山荘脇を乗り越えて上高地へ降りるケーブルまで計画された。
  だが、さすがに現在以上の延伸は認可は認められなかった。

この冷沢登山口はどのくらいの利用者がいるのか?
大滝山まで眺望がないそうです。森林限界を超えていないからねえ。
蝶が岳からの下山に使うとしても延々9時間!
そこから林道下り、里へ出て、タクシー呼んでもらうのかあ、大変だ。
上高地へのルート

右が北です!


そして、、、、もう一冊、古い本を見つけた。
「北アルプス物語」  (朝日新聞 松本支局編)

これによると、
1.江戸時代の文政2年(1819年)安房峠をバイパスする「飛騨新道」として、
  梓川村の有志連合がこの三郷スカイライン・ルートの原型を計画、完成させた。
  だが相次ぐ雪崩、崩落で25年後には廃道となったそうだ。

2.その後、文政11年(1828年代)に槍ヶ岳を開山した念佛僧の
  「播隆上人」が、スカイライン・ルートを使って上高地経由で槍ヶ岳に登っていた!
  彼は山頂に仏像を置くだけでなく、後日、信者が登りやすいように
  太い「ワラ綱」まで垂らした。
  このときは小倉地区の案内人、信者のお世話になってる。

3.当然、これでは耐久性がないので更に信者の寄進で鉄の鎖を準備。
  ところが天保の大飢饉が!「槍ヶ岳を汚したタタリだ!」と石を投げられる羽目に、、
  飢饉が収まった数年後、ようやく信者が、保管された鉄の鎖54mに交換した。

つまり、スカイラインルートを使って牛馬が重い綱や鎖を運び上げ、
ボッカが槍ヶ岳まで運んだ!スゴイことだ。
このころ、播隆上人はもう動けなくなっていたという。
このスカイラインは歴史的に由緒高いルートだったのだ。

明治30年までは槍ヶ岳頂上の鎖は存在してたが、その後、盗まれた!バチ当たりメ!
昭和6年に小倉地区の地元のお寺、信者が、今も残る3本の鎖を取り付けたそうだ。

オマケ

ほぼ雪が無くなった4月に再訪、まだゲートは閉まってた。
熊は冬眠から目覚めて出没覚悟!
延々と林道を登ってたら、途中で道路の雪、ドロを重機が片付け中だった。
「気を付けてください」と言われたが、やっぱり登っちゃマズカッた。
何か所か路肩崩壊があった。シーズンになっても修復で通行止めがあるかも。
安曇野市は大変なカネをかけて維持しているのだ。
DSC07990.jpg
途中にあったハングライダー用?パラグライダー用?の離陸台。
それにしても短かすぎる!相当な度胸が要る。

展望台に着いたら、、、、安曇野以外は何も見えなかった!
ここから更に鶏冠山を越えて大滝山まで登らないと上高地や北アルプスは
見えない。残念。

ちなみに林道往復16km、入口は640m、展望台は1400m、標高差740m
とうとう81才となった私は、登りに2時間ちょと、下りは疲れて3時間以上!ヘロヘロに。
いくら車道とはいえ、長すぎたああ、、、

4月から開通したらクルマでたった20分!安曇野の夜景が楽しめます。
但し狭くて急なので初心ドライバーはムリ。
特に夜間は真暗でヤバイ。イロハ坂並みです。

オワリ


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Re: No title

ありがとうございます。も
う、蝶が岳にも島々谷にも行けそうにありません。
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ゴンベ

Author:ゴンベ
房総の沢、滝探検、ヤブ山探検、地形調査、デインギー(ヨット)などを書いていこうと思っています。
分かりやすいように書いていくつもりですが、もし分かりにくいことがあればコメントをいただければ可能な限り答えます。
読んでいただければ幸いです。

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