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中国大陸打通作戦、知られざる日中戦争

またまたトンデモナイ本を見付けてしまった。

  「中国行軍 徒歩6500キロ」  掘 啓 著    川辺書林

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著者は、昭和18年、赤紙(招集令状)で徴兵された21才の鉱石分析技術者。
すでに戦況が傾き始めていた日本軍が、起死回生策の一環として計画した「湘桂作戦」
通称「大陸打通作戦」の、一兵卒としての体験記だ。

最初に、、、なんでこんなムチャクチャな作戦がまかり通ったのか?
20㎏の重装備で、1日に昼夜兼行で20キロ、ときには40キロも徒歩で行軍する。
戦闘となれば、分解した迫撃砲部品50㎏を背負って走る。
1年かけて中国大陸を徒歩行軍、そして転向(往復)した。
10万人もの戦病死者を出した。
軍隊は人間を消耗品としか見ていない。

もっとも、ごく最近、アメリカ海兵隊特殊部隊の入隊行軍でも死者が出て、
過激な訓練が問題になったばかり。どこの国の軍隊も人間の限界を無視している。
自衛隊でも、かって館山の基地だったかな? 重装備させた18才の新人(新兵)に対して、
深い水路を突破する訓練をさせた。結果、何人かが溺死した痛ましい事故があった。

昭和18年といえば既に、南方からのシーレーン(海上輸送)は、アメリカの潜水艦の攻撃で
絶望的になっていた。そこで、南方資源を陸路ベトナム経由で中国大陸の真っただ中の
鉄道とその沿線道路で日本に運ぶという壮大な戦略。
沿線の中国軍拠点を次々と陥落させて、そこに守備隊を駐留させるという。

そんなこと自体が可能とは到底思えない。
広大な中国大陸は蒋介石軍と毛沢東軍の支配下にある。
拠点を一時的に占領したとしても、いずれ守備隊は孤立する。
長く伸び切った戦線をどうやって維持する気だったのか?

作戦前の南京での7ケ月の新兵訓練は、古参兵が「連帯責任懲罰」、つまり1人が
ミスすると、その班の全員に対して往復ビンタ、拳骨制裁をする日々。
「戦闘になったらあいつを後ろから撃ってやる!」との陰口まで。
だがいざ戦闘の時、人数が減っても困るし、誰も実行はしなかったが。

上部からの体罰禁止が出ても、古参兵は見えない背中へのバックル付き革バンドでの
ムチ打ちをやった。それも教官に露見すると最後は尻打ちへ。ほぼ暴力団だ。
装備の内部検査で不足があると大変なことに。員数合わせのために他の隊から盗んでくる。
盗まれた隊は大変だ!更に別な隊から盗んでくる。

昭和19年5月、南京の南東、揚子沿岸にある武昌(漢口)から50万人が行軍開始。
迫撃砲手としての行軍開始、直線距離4200kmの鉄道に沿って、幅120kmに展開、
資源補給線路の確保を目的に、沿線の中国軍と交戦、排除しながら、
延べ6500kmの徒歩行軍と侵攻の末、ベトナム国境へ到達。
1年後、出発地に戻ったあとに敗戦。

戦車100台、火砲1300門とは言え機械化部隊ではない。ほぼ人力部隊だ。
6万7000頭の軍馬、現地調達のロバの背中に迫撃砲を積載して徒歩で行軍、
えばった隊長だけは馬の上。
先頭は歩兵集団が交戦する。それを後方から迫撃砲で支援。
雨の中、泥の中、腰上までの大河渡渉、マラリア、赤痢、下痢、血尿、疥癬、回虫騒ぎ。

食料は現地調達、といっても、全て通過する村からの略奪で賄った。
中国人民は日本軍が来る前に食料を隠して山へ逃げた。日本軍はその食糧を捜索する。
隠してあった米。貴金属も奪取。家畜は解体して肉に。
日本軍の通過した跡には何も残らなかった。
弾薬の兵站(補給)だけは確保されていたので不足は無かった。
なので「インパール作戦」のような壮絶な餓死者は出なかったが。

行軍中は米空軍の爆撃、機銃掃射に晒される。
なので昼間は行動できず。夜間や悪天候を利用して行軍したから、なおさら辛い。
あまりの辛さから、新兵の手榴弾自殺が続発。

当然、捕虜の拷問、虐殺もやった。毒ガス弾も使ったが、作戦途中で天皇命令が出て
回収された。東京空襲でアメリカ軍もガス弾を使ったら大変だというのが理由だった。

米空軍の爆撃で一瞬のうちに中隊200人が壊滅。300人のうち生き残りが7名の中隊も。
初期の17日間で中隊の30%が脱落。
300キロ行軍したところで補充新兵の脱落者は半数に及んだ。
虎!にまで襲撃された。唯一の救いは満州のように寒くはなかったこと。
南進するほどに温暖になった。

出発地に帰着して、南京へ向かう途中で敗戦の報が。
蒋介石軍は、ジュネーブ条約を守って捕虜虐待はせず。
そこから南京までの復員ではもう食料の略奪は出来ず。
往路で略奪した銀貨で物々交換して食料を入手。
全行程を通じて日本軍は、まるで強盗、ドロボウ軍隊だ。


以前にも書いたが、私が生後3ケ月の時に満州に出征、敗戦でシベリアに抑留され、
4年後に現地で死亡した。
何で日本人が満州に進出したのか?長年の疑問でした。

簡単に言えば、、、
日露戦争で勝ったけど、ロシアは中国に侵攻して巻き上げた「満蒙」つまり満州を
日本に譲っただけだった。「貰ったんだから日本の物だ」と思っていたが、
もともと中国の土地だ。そこには中国人が住んでいてた。

そこに悪名高き「関東軍」を送り込んだ。
さらに「満蒙開拓団」を送り込み、中国人から安値で土地を収奪した。
期待に反して、資源といえば石炭ぐらい、石油は出なかった。辺境の地である。
農業しか利用価値がない。
「満鉄」といっても既存の中国の鉄道を接収しただけのこと。
満鉄の関連事業だけが日本人のビジネス、それも赤字路線。

当時の中国は軍閥だらけで統一されてなかったので、ゲリラ(匪賊)活動で対抗。
その中で関東軍がやりたい放題。「張作霖爆殺」とか、{盧溝橋事件」とか。
その収拾をすべきところを、逆に近衛内閣が、抗日感情を見誤り、拡大させた。
結果、力を付けていた蒋介石軍と全面衝突。
蒋介石軍は毛沢東軍と共闘を組んだので、いずれ強大になった。

一方の日本海軍も「上海事変」を見誤って拡大させた。
こっちも欧米に後押しされた蒋介石軍に圧倒されて日本は大損失、敗退。
それを陸軍の関東軍が押し返すべく、南京まで侵攻。「南京大虐殺」で世界問題に。

その結末が「大陸打通作戦」、、
だが敗戦後の日本では「忘れられた大作戦」となった。

物凄い浪費だ。日本軍というのは日本の国家予算の5倍を消費した。
そして何も残らなかった。

書きかけです。


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ゴンベ

Author:ゴンベ
房総の沢、滝探検、ヤブ山探検、地形調査、デインギー(ヨット)などを書いていこうと思っています。
分かりやすいように書いていくつもりですが、もし分かりにくいことがあればコメントをいただければ可能な限り答えます。
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