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飢餓地獄で生死を分けたもの

この本の大半は軍事関係なので、それ以外の興味深い点だけ抜粋した。
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「海軍設営隊の太平洋戦争」       佐用泰司著  光人社発行
    サブタイトル:「航空基地築城の展開と活躍」

日本軍には、海軍にも、陸軍にも「航空隊」があって「空軍」は無かった。
ということは陸軍にも航空基地設営隊があったのか?

それはともかく島嶼に滑走路を急造する、いわゆる海軍工兵隊の話である。
トップは技術将校だが下部組織は戦闘員ではない!ほぼ武器を持たない「軍属」である。
大工、船大工、溶接工、板金、機械加工、農民、元漁師、、、、雑多な構成だ。

陸軍の招集兵だって寄せ集めだが、それでも結果は大きく分かれた。
旧日本軍の「海軍工兵隊」は南洋の島嶼で生き延びた。
だが島を守った陸軍は大量の餓死者を出したのだ。

なぜか? 工兵隊は軍属だったから!
民間人による自由な発想、創意工夫の迅速な実践。
民主的な指導者のもと、栄養学と衛生知識を駆使した自給自足ができたのだ。

いっぽうの陸軍というと、、、彼らはビンタ、体罰による恐怖支配。
命令に背けば営倉、軍法会議。だから誰もが上官の命令を待つだけ。
その上官も本部へ補給を通信するだけ、返事が来なくても手をこまねいていた。
命令が来なければ何もしない、何も出来ない。そういう体質になり切っていた。
結果として自給自足生活へのスタートが遅れた。それが致命傷になった。

何度も言うけど、そもそも大本営はこれだけ伸び切っていた前線を、どうやって兵站(補給)
するつもりだったのか?
中国戦線みたいに現地調達(民家の略奪)をするほどジャングルには住人がいない。
太平洋戦争そのものが、ほぼ補給が不可能な戦争だったのだ。   

兵站(補給)をないがしろにした日本軍であるから当然、工兵も単なる下働き扱い。
さすがに戦中後半には、これではいかんと遅まきながら軍隊化はされたが。
それでも戦闘集団が進出する前に飛行場や建物や給排水、トーチカなどを
建設しなければならない。
最前線の危険な作業ばかり。その割には小人数集団だった。
工兵隊には徴用工、、朝鮮人、ニューギニアの現地人がいた。
皆な、重労働の土木作業に駆り出される。日本軍は人海戦術だ。
アメリカ軍のように機械化されていなかった。

だから指揮官は部下の健康を第一に考えなければならなかった。
人が倒れたら仕事が止まる。熱帯での土木作業労働自体が極めて問題なのだが。
栄養失調、マラリア、熱帯性熱病、赤痢、疫痢、トイレの処理方法、、、
工夫に工夫を重ねた。部下は守られた。

未開の南洋、ニューギニアのソロン基地が舞台。
だが陸軍マッカーサーも海軍ミニッツも、上陸することなくスルー。
ここの滑走路を占領しても日本へは遠すぎる。大型機の空襲には使えないからだ。
滑走路が使えないように空襲は続いたが、日本軍機はもう皆無になった。
戦略的には置き去り、ニューギニアは主戦場ではなくなった。

その後は補給が途絶えた飢餓地獄!日本軍の船は全く来ない。
ニューギニアの日本軍15万人は孤立無援となった。
その生死を分けたのが「自活できない戦闘集団」と「自活出来た工兵集団」の差だった。

熱帯のジャングルだからいつもパパイア、バナナ、ヤシが実り、鳥や野ブタが徘徊してる。
食べるものくらいあるだろう、現にわずかながらも原住民は生活できてるし、、、、
いや、狭い島嶼に、あまりに多数の将兵が残置されたので、何でもかんでも食いつくしたのだ!
苗すら食い尽くした!海に魚を取りたくても散発的な空襲にやられる。

工兵集団は、食いつくすことはしなかった。
わずかな種や蔓を入手して、なんとか栽培できないかと工夫した。
だが米も麦も、大豆も芽が出ない。コーリャン、トウモロコシは芽が出た。
いっぽう、かぼちゃや甘藷(サツマイモ)は蔓から根が出た。
仕方なく、低カロリーだが収穫が容易な甘藷が主食になった。
意外なことに常夏、南洋では秋野菜、、、大根、ナスは種を付けないのだ!
理由は寒い冬の休眠がないから。
カボチャ、唐辛子、トウモロコシは種が取れた。
最後には苦労して作った滑走路も、泣く泣く掘り返して広大な畑にした。

各自が持つ徴兵前の民間技術、ノウハウを活用して、あらゆる工夫を実行に移した。
トラックの車輪で回す製材機、石臼!旨くないコーリャン、トウモロコシを製粉して焼いた。
農具、工具、漁労のはえ縄、釣り針、カヌー作り、漁船作り、製塩、、
ワナによる狩猟、現地人から譲ってもらったニワトリやアヒルを飼って卵を得て増やした。
ここでも多少は民主的だった組織風土が良い方向に向いた。

一方の陸軍はというと、自分で考えて工夫する体質を失っていた。
ひたすら命令を待ち、補給を打電した。だが当然、本土からは何も来ない。
何も生産しようとしない。
ジャングルを伐採して畑を作ると、上空から敵に見つかるからと躊躇した。
結果、栄養失調で大半がヨロヨロになって、とうとうジャングルを伐採する体力すら失った。
15万人の陸軍は「ジャングルの俘虜」と化した。

炭水化物、タンパク質はなんとかなっていったが、ビタミン食品が入手できなかった。
飢餓の中で脚気や、新鮮野菜不足によるビタミン不足に直面したが、
工兵隊は、あらゆる野草、植物を試み、これらを栄養知識で切り抜けた。

あの悪名高き、明治の陸軍軍医総監の文豪「森鴎外」は、白米偏重の陸軍食による
「脚気」を最後までビタミンB!欠乏症とは認めようとせず、留学で習った「細菌説」に固執した。
その結果、日露戦争では何万の陸軍将兵を戦わずして脚気で死なせた!
海軍はいち早く、これに気が付いて脚気死亡者はほぼゼロだったというのに。

富士山頂上測候所を開いて、初めて越冬した野中至夫妻も結局は新鮮野菜不足で倒れた。
我々は食物繊維のために野菜を食べてるわけではない。
ビタミンは人間が生きていくためには非常に大切なのだ。

書きかけです。




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ゴンベ

Author:ゴンベ
房総の沢、滝探検、ヤブ山探検、地形調査、デインギー(ヨット)などを書いていこうと思っています。
分かりやすいように書いていくつもりですが、もし分かりにくいことがあればコメントをいただければ可能な限り答えます。
読んでいただければ幸いです。

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